宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
器之嘗謂予言當官處事須權輕重務合道理毋使偏重可也夫是之謂中因言元祐間嘗謁見馮當世當世言熙寜初與陳暘叔吕寳臣同任樞密□叔聰明少比遇事之来迎刃而解而吕寳臣尤善秤停事毎事之来必秤停輕重令得所而後巳也事經寳臣處者人情事理無不允當器之因極言秤停二字最吾輩當今所宜致力
新字:器之嘗謂予言当官処事須権軽重務合道理毋使偏重可也夫是之謂中因言元祐間嘗謁見馮当世当世言熙寜初与陳暘叔呂寳臣同任枢密□叔聰明少比遇事之来迎刃而解而呂寳臣尤善秤停事毎事之来必秤停軽重令得所而後巳也事経寳臣処者人情事理無不允当器之因極言秤停二字最吾輩当今所宜致力
書き下し
器之嘗て予に謂いて言う、官に當たり事を處するには、須らく輕重を權り、務めて道理に合し、偏重せしむること毋かるべし。夫れ是を之れ中と謂う、と。因りて言う、元祐の間、嘗て馮當世に謁見す。當世言う、熙寧の初め、陳暘叔・呂寶臣と同に樞密に任ず。□叔は聰明比び少なく、事の来たるに遇えば刃を迎えて解く。而して呂寶臣は尤も事を秤停するを善くす。事の来たる每に必ず輕重を秤停し、所を得しめて後に已むなり。事の寶臣を經て處せらるる者は、人情事理允當ならざる無し、と。器之因りて極言す、秤停の二字は、最も吾輩當今宜しく力を致すべき所なり、と。
現代語訳
劉安世はかつて私にこう言った。「官職にあって事を処理するには、必ず軽重を量り、努めて道理にかない、どちらかに偏らせないようにしなければならない。これを『中』というのだ」。そこでこう語った。元祐年間、かつて馮京にお目にかかった。馮京は言った。「熙寧の初め、陳暘叔・呂公弼とともに枢密院の任にあった。□叔は聡明さで比べられる者が少なく、事が来ると刃を迎えるように解いてしまった。ところが呂公弼は、とりわけ事を秤にかけて釣り合わせるのが上手であった。事が来るたびに必ず軽重を秤にかけ、それぞれが収まるところを得てからでなければやめなかった。呂公弼の手を経て処理された事は、人情の面でも事の道理の面でも、当を得ていないものがなかった」。劉安世はそこで力を込めて言った。「『秤停』の二字こそ、われわれが今もっとも力を注ぐべきところである」。
解説
この章句が説くこと
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