宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
張舜民逰京求謁先達是時公與司馬公王荆公為學者所趨諸公之論於行義文史為多惟公與談吏事既久之不免有請大凡學者之見先生莫不以道德文章為欲聞者今先生多教人以吏事所未喻也公曰不然吾子皆時才異日臨事當自知之
新字:張舜民遊京求謁先達是時公与司馬公王荆公為学者所趨諸公之論於行義文史為多惟公与談吏事既久之不免有請大凡学者之見先生莫不以道徳文章為欲聞者今先生多教人以吏事所未喻也公曰不然吾子皆時才異日臨事当自知之
書き下し
張舜民京に遊び、先達に謁を求む。是の時、公と司馬公・王荊公とは學者の趨る所なり。諸公の論は行義文史に於いて多し。惟だ公のみ與に吏事を談ず。既に之を久しくして、請う有らざるを免れず。大凡そ學ぶ者の先生に見ゆるは、道德文章を以て聞かんと欲せざるは莫し。今先生は多く人に教うるに吏事を以てす。未だ喩らざる所なりと。公曰く、然らず。吾子は皆時才なり。異日事に臨まば、當に自ら之を知るべしと。
現代語訳
張舜民が都に遊学し、先輩たちに面会を求めた。当時、欧陽脩と司馬光と王安石は、学ぶ者たちが押しかける相手であった。諸公の議論は、行いの義や文章・史書についてのものが多かった。ただ欧陽脩だけは、来訪者と役所の実務の話をした。それが長く続いたので、こう申し出ずにいられなかった。「およそ学ぶ者が先生にお目にかかるのは、道徳と文章についてうかがいたいと思わない者はありません。いま先生は、多く人に役所の実務をもってお教えになります。まだ腑に落ちないところです」。欧陽脩は言った。「そうではない。君たちはみな時代の才である。いつか事に臨めば、おのずと分かるはずだ」。
解説
訪ねてきた学生の不満が率直です。**学ぶ者が先生にお目にかかるのは、道徳と文章についてうかがいたいと思わない者はありません。**当代一の文章家に会いに来て、書類の話をされている。欧陽脩は説明を先延ばしにしました。**いつか事に臨めば、おのずと分かるはずだ。**いま説明しても伝わらない、と踏んでいます。次の段で、なぜ実務の話をするようになったのか、その原点が語られます。
この章句が説くこと
公と司馬公王荊公とは学者の趨る所なり惟だ公のみ与に吏事を談ず学ぶ者の先生に見ゆるは道徳文章を以て聞かんと欲せざるは莫し吾子は皆時才なり異日事に臨まば当に自ら之を知るべし実務学問
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