宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
至神廟即位富於春秋天資絶人讀書一見便解大指是時見兩蕃不服及朝廷州縣多紓緩不及漢唐全盛時每與大臣論議有怫然不悦之色當時執政從官中有識者以謂方今天下正如大富家上下和睦田園開闢屋宇牢壯財用充足但屋宇少設飾器用少精巧僕妾樸魯遲鈍不敢作過但有鄰舍来相凌侮不免嵗時以物贈之其來已乆非自家做得如此遂不敢承當上意改革法度
新字:至神廟即位富於春秋天資絶人読書一見便解大指是時見両蕃不服及朝廷州県多紓緩不及漢唐全盛時毎与大臣論議有怫然不悦之色当時執政従官中有識者以謂方今天下正如大富家上下和睦田園開闢屋宇牢壮財用充足但屋宇少設飾器用少精巧僕妾樸魯遅鈍不敢作過但有鄰舎来相凌侮不免歳時以物贈之其来已乆非自家做得如此遂不敢承当上意改革法度
書き下し
神廟即位するに至り、春秋に富み天資人に絶す。書を讀めば一見して便ち大指を解す。是の時、兩蕃の服せざるを見、及び朝廷州縣の多く紓緩にして漢唐全盛の時に及ばざるを見て、毎に大臣と論議すれば怫然として悦ばざるの色有り。當時の執政從官の中に識有る者以謂えらく、方今の天下は正に大富家の如し。上下和睦し、田園開闢し、屋宇牢壯、財用充足す。但だ屋宇は設飾少なく、器用は精巧少なく、僕妾は樸魯遲鈍にして敢えて過を作さず。但だ鄰舍の來たりて相い凌侮する有らば、歳時に物を以て之に贈るを免れず。其の來ること已に久し。自家の做し得て此くの如きに非ずと。遂に敢えて上意を承當して法度を改革せず。
現代語訳
神宗が即位するに至り、まだ若く、生まれつきの資質が人に抜きん出ていた。書を読めば一目見て大意を解した。この時、二つの異民族が服さないのを見、また朝廷や州県の多くがゆるんでいて、漢や唐の全盛期に及ばないのを見て、大臣と議論するたびに、むっとして喜ばない顔色があった。当時の執政や従官のうち見識のある者は、こう考えていた。いまの天下は、まさに大きな富家のようなものだ。上下は睦まじく、田畑は開かれ、家屋は堅固で、財用は足りている。ただ家屋には飾りが少なく、道具は精巧さに欠け、下男下女は素朴で鈍く、あえて過ちを犯すこともない。ただ隣家がやって来て侮ることがあれば、年ごとに物を贈らずには済まない。それも来てから久しいことで、自分の家の落ち度でこうなったのではない、と。そういうわけで、あえて天子の意を引き受けて法度を改革しようとはしなかった。
解説
この章句が説くこと
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