宋名臣言行録 / 後集巻五・趙抃
知睦州睦嵗為杭市羊公移文却之民籍有茶税而無茶地公奏蠲之民至今稱焉
新字:知睦州睦歳為杭市羊公移文却之民籍有茶税而無茶地公奏蠲之民至今称焉
書き下し
睦州を知る。睦は歳ミ杭の爲に羊を市う。公文を移して之を卻く。民の籍に茶税有りて茶地無し。公奏して之を蠲す。民今に至るまで稱す。
現代語訳
睦州の知事となった。睦州は毎年、杭州のために羊を買い上げていた。趙抃は文書を回してこれを断った。民の帳簿には茶の税があるのに、茶の畑がなかった。趙抃は上奏してこれを免除した。民は今に至るまで称えている。
解説
三十二字で、二つの慣例を切っています。ひとつは他州のための買い上げでした。**毎年、杭州のために羊を買い上げていた。文書を回してこれを断った。**もうひとつが帳簿の話です。**民の帳簿には茶の税があるのに、茶の畑がなかった。**かつては畑があったのでしょう。畑がなくなったあとも、税の項目だけが残り続けた。実物と帳簿がずれたまま、誰も直さずに引き継がれていました。
この章句が説くこと
睦は歳ミ杭の為に羊を市う公文を移して之を却く民の籍に茶税有りて茶地無し公奏して之を蠲す民今に至るまで称す徴税実態
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕世に恕、三司使と為りて茶法を改め、歳計幾んど十倍を増すと稱す。予、三司使と為りし時、其の籍を考う。景徳中、北戎入冦の後より、河北の糴便の法蕩盡す。後、茶利十に其の九を喪う。恕、任に在りて北虜の講解に値う。商人頓に復し、歳課遂に増す。十倍の多しと云うと雖も、之を考うるに尚お未だ舊額に盈たず。今に至るまで稱道するは、葢し不虞の譽なり。
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