宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公之在母秦國寤驚旌旗鶴鴈降格於庭云有天赦已而公生天欲赦民公啓其衷逺至燕然南至於河億萬維生公手撫摩水潦荐飢散流而東五十萬人仰哺於公公之在内自泉流瀕其在四方自葉流根百官維人百度維正相我三宗重華恊明帝謂公來隕星其堂有墳其丘公豈是藏維嶽降神今歸不留臣軾作頌以配崧髙
新字:公之在母秦国寤驚旌旗鶴鴈降格於庭云有天赦已而公生天欲赦民公啓其衷遠至燕然南至於河億万維生公手撫摩水潦荐飢散流而東五十万人仰哺於公公之在内自泉流瀕其在四方自葉流根百官維人百度維正相我三宗重華恊明帝謂公来隕星其堂有墳其丘公豈是蔵維嶽降神今帰不留臣軾作頌以配崧高
書き下し
公の母に在るや、秦國寤めて驚く。旌旗鶴雁、庭に降格す。云う、天赦有りと。已にして公生まる。天の民を赦さんと欲するや、公其の衷を啓く。遠く燕然に至り、南は河に至る。億萬維れ生く。公が手撫摩す。水潦荐りに飢う。散流して東す。五十萬人、公に仰ぎて哺す。公の内に在るや、泉の流れて瀕ずるがごとし。其の四方に在るや、葉より流れて根に至る。百官維れ人、百度維れ正し。我が三宗を相け、重華協明。帝、公に來たれと謂う。星隕つ其の堂、墳有り其の丘。公豈に是れ藏せんや。維れ嶽の神を降す。今歸りて留まらず。臣軾頌を作りて以て崧髙に配す。
現代語訳
富弼が母の胎にいたとき、秦国夫人は夢から覚めて驚いた。旗と鶴と雁が、庭に降り立った。「天の赦しがある」と告げられた。まもなく富弼が生まれた。天が民を赦そうとして、富弼がその心を開いたのである。遠くは燕然に至り、南は黄河に至る。億万の人が生きた。富弼の手がそれを撫でさすった。長雨が続いて飢えが重なった。人は散り流れて東へ向かった。五十万人が、この人を仰いで口を養った。この人が朝廷にあるときは、泉が流れて岸に及ぶようであった。四方にあるときは、葉から流れて根に至るようであった。百官はそれぞれ人を得、あらゆる制度は正しくなった。我が三代の君を輔け、重華のごとく明を協えた。帝は「公よ来たれ」と告げられた。星がその堂に落ち、その丘に墳ができた。公がここに蔵されているだろうか。ただ山岳が神を降したのである。いま帰って、留まってはいない。臣軾は頌を作って、これを『崧高』の詩に配する。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光蘇内翰軾公の神道碑銘を作りて曰く、於皇なる上帝、子めに我が民を惠む。孰か天に顧みらるるに堪えん。惟だ聖と仁と。聖子命を受くること堯の初めの如し。神母之に詔ぐ。亟ならず徐ならず。聖神は無心。孰か之を左右せん。民自ら相を擇び、我興りて之を授く。其の相は維れ何ぞ。太師温公。公は西より來たる。一馬二童。萬人之を環る。渇して泉に赴くが如し。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼山林河泊の利、取りて生を爲す可き者有らば、流民の之を取るを聽し、其の主は禁ずるを得ず。官吏は皆其の勞を書し、約して奏請と爲し、他日以て次を以て賞を朝に受くるを得しむ。率ね五日にして輒ち人を遣わし、酒肉糗飯を以て之を勞う。至誠より出づ。人人爲に力を盡くす。流民の死する者は大塚に□し、之を叢冢と謂う。自ら文を爲りて之を祭る。明年麥大いに熟す。流民各ミ遠近を以て粮を受けて歸る。凡そ活かすこと五十萬。募りて兵と爲す者、又た萬餘人なり。