宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
仁宗朝韓富二公為相凡言聞邉者皆不納熙寧初公執政始有開邉之議王韶者罷新安簿遊邉得其説遂上開河湟之䇿公以為竒謀乃有熙河之役獨岷州白石大潭秦州屬縣有賦税其餘無㪷粟尺布惟仰陜西州郡朝廷帑藏供給故自開熙河以來陜西民日困朝廷財用益耗初唃厮囉分處諸子於熙河洮岷之地唃厮囉死諸子皆衰弱故韶能取之
新字:仁宗朝韓富二公為相凡言聞邉者皆不納熙寧初公執政始有開邉之議王韶者罷新安簿遊邉得其説遂上開河湟之策公以為奇謀乃有熙河之役独岷州白石大潭秦州属県有賦税其余無㪷粟尺布惟仰陜西州郡朝廷帑蔵供給故自開熙河以来陜西民日困朝廷財用益耗初唃厮囉分処諸子於熙河洮岷之地唃厮囉死諸子皆衰弱故韶能取之
書き下し
仁宗の朝、韓・富の二公相と爲る。凡そ邊を聞くを言う者は皆納れず。熙寧の初め、公執政して始めて開邊の議有り。王韶なる者、新安の簿を罷めて邊に遊び、其の説を得て遂に河湟を開く策を上る。公以て奇と爲し、乃ち熙河の役有り。獨り岷州・白石・大潭、秦州の屬縣のみ賦税有り。其の餘は斗粟尺布無く、惟だ陝西の州郡・朝廷の帑藏の供給を仰ぐ。故に熙河を開きて以來、陝西の民日に困しみ、朝廷の財用益ミ耗す。初め唃厮囉諸子を熙河洮岷の地に分け處らしむ。唃厮囉死して諸子皆衰弱す。故に韶能く之を取る。
現代語訳
仁宗の御代、韓琦と富弼の二人が宰相であった。およそ辺境の情勢について申し立てる者は、みな受け付けなかった。熙寧のはじめ、王安石が執政して、はじめて辺境を切り開く議が起こった。王韶という者が、新安の主簿を辞めて辺境を遊歴し、その情報を得て、ついに河湟を開く策を差し出した。王安石はこれを非凡な策とし、そこで熙河の役が起こった。ただ岷州・白石・大潭と、秦州に属する県だけに租税があった。その他は一斗の粟も一尺の布も出ず、ひたすら陝西の州郡と朝廷の国庫からの供給に頼った。だから熙河を開いて以来、陝西の民は日ごとに苦しみ、朝廷の財政はますます減った。はじめ唃厮囉は子らを熙河・洮岷の地に分けて置いていた。唃厮囉が死んで、子らはみな衰弱した。だから王韶はこれを取ることができた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・作戦篇力屈き財殫き、中原内は家に虚し。百姓の費、十に其の七を去り、公家の費、破車罷馬、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十に其の六を去る。
-
孫子・作戦篇師に近き者は貴く売る。貴く売れば則ち百姓財竭き、財竭くれば則ち丘役に急なり。
-
孫子・作戦篇夫れ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈し貨を殫くせば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こり、智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。
-
孫子・九地篇山林・険阻・沮沢、凡そ行き難きの道なる者を、圮地と為す。
-
孫子・行軍篇杖つきて立つ者は、饑うるなり。汲みて先ず飲む者は、渇するなり。利を見て進まざる者は、労るるなり。鳥集まる者は、虚しきなり。夜呼ぶ者は、恐るるなり。軍擾るる者は、将重からざるなり。旌旗動く者は、乱るるなり。吏怒る者は、倦みたるなり。馬に粟して肉食し、軍に懸缻無く、其の舎に返らざる者は、窮寇なり。諄諄翕翕として、徐ろに人と言う者は、衆を失うなり。
-
孫子・作戦篇其の戦を用うるや、勝つを貴ぶ。久しければ則ち兵を鈍らせ鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈し、久しく師を暴せば則ち国用足らず。