宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
王晉公祜事太祖為知制誥太祖遣使魏州以便宜付之告曰使還與卿王溥官職時□為相也魏州節度使符彦卿有飛語聞于上祜至魏得彦卿家僮二人挾勢恣横以便宜決配而已及還朝太祖問曰汝敢保符彦卿無異意乎祜曰臣以百口保彦卿又曰五代之君多因猜忌殺無辜故享國不長願陛下以為戒帝怒其語直貶䕶國行軍司馬華州安置祜赴貶親賔送于都門外謂祜曰意公作王□官職矣祜笑曰祜不做兒子二郎必做二郎者旦也祜知其必貴手植三槐于庭曰吾子孫必有為三公者已而果然天下謂之三槐王氏云
新字:王晉公祜事太祖為知制誥太祖遣使魏州以便宜付之告曰使還与卿王溥官職時□為相也魏州節度使符彦卿有飛語聞于上祜至魏得彦卿家僮二人挟勢恣横以便宜決配而已及還朝太祖問曰汝敢保符彦卿無異意乎祜曰臣以百口保彦卿又曰五代之君多因猜忌殺無辜故享国不長願陛下以為戒帝怒其語直貶䕶国行軍司馬華州安置祜赴貶親賔送于都門外謂祜曰意公作王□官職矣祜笑曰祜不做児子二郎必做二郎者旦也祜知其必貴手植三槐于庭曰吾子孫必有為三公者已而果然天下謂之三槐王氏云
書き下し
王晉公祜、太祖に事えて知制誥と為る。太祖使いを魏州に遣わし、便宜を以て之に付して告げて曰く、使い還らば卿に王溥の官職を與えんと。時に□相と為るなり。魏州節度使符彦卿に飛語の上に聞こゆる有り。祜、魏に至りて彦卿の家僮二人の勢いを挾みて恣横なるを得たり。便宜を以て決配するのみ。還朝するに及び、太祖問いて曰く、汝敢えて符彦卿に異意無きを保つかと。祜曰く、臣百口を以て彦卿を保すと。又た曰く、五代の君は多く猜忌に因りて無辜を殺す。故に國を享くること長からず。願わくは陛下以て戒めと為されよと。帝其の語の直なるを怒り、䕶國行軍司馬に貶して華州に安置す。祜貶に赴く。親賔、都門の外に送りて祜に謂いて曰く、意えらく公は王□の官職を作さんと。祜笑いて曰く、祜は做さず。兒子二郎必ず做さんと。二郎とは旦なり。祜其の必ず貴きを知り、手ずから三槐を庭に植えて曰く、吾が子孫必ず三公と為る者有らんと。已にして果たして然り。天下之を三槐王氏と謂うと云う。
現代語訳
王祐は太祖に仕えて知制誥となった。太祖は使者を魏州に遣わすにあたり、便宜の処置を任せて告げた。「使いから戻ったら、そなたに王溥の官職を与えよう」。当時は□が宰相であった。魏州節度使の符彦卿について、根も葉もない噂が帝の耳に入っていた。王祐は魏州に着いて、符彦卿の家僕二人が権勢をかさに着てほしいままに振る舞っている事実をつかんだ。便宜の処置として流罪に決しただけであった。帰朝すると、太祖は尋ねた。「そなたは符彦卿に叛く心が無いと保証できるか」。王祐は言った。「臣は一族百人の命をもって彦卿を保証いたします」。また言った。「五代の君主は、多くは疑い忌むことによって罪の無い者を殺しました。だから国を保つことが長くなかったのです。どうか陛下、これを戒めとなさいますように」。帝はその言葉の率直さに怒り、護国軍行軍司馬に落として華州に置いた。王祐は左遷の地へ向かった。親しい者や賓客が都の門の外まで送り、王祐に言った。「あなたは王□の官職に就かれると思っていました」。王祐は笑って言った。「私はならない。息子の二郎がきっとなるだろう」。二郎とは王旦のことである。王祐はその子が必ず貴くなると知り、自ら三本の槐を庭に植えて言った。「私の子孫には必ず三公となる者が出る」。後にはたしてそのとおりになった。世間ではこれを三槐王氏と呼んでいる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公、金陵より入る。腦疽に苦しみて未だ陛見せず。御史・閤門累々奏す。上、其の告を寛くして疾を養わしむ。公、面のあたり懐う所を陳ぶるを得ざるを恨む。乃ち抗論す、近年、國家の帑藏を虚しくし、生民の膏血を竭くして、以て無用の土木に奉ずる者は、皆な賊臣丁謂・王欽若、上の侈心を啟く所の為す所なり。誅せずんば死すとも以て天下に謝する無しと。章三たび上るも報ぜられず。出でて陳州を知る。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。