宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
詔同詳定阮逸胡瑗等所造鍾律公曰祖宗舊法遵用斯久屬者㣘一士之偏議變數朝之定律臣切計之不若窮作樂之源為致治之本使政令平簡民物熈洽海内擊壤鼔腹以歌太平斯乃上世之樂可得以氣象求乎既逹其源又當究當今之所急國家方夏寧一又弛邊備犬戎之性豈能常保願陛下與左右弼臣緩兹求樂之誠移訪安邉之議急其所急在理為長遂詔將來南郊用和峴舊樂
新字:詔同詳定阮逸胡瑗等所造鍾律公曰祖宗旧法遵用斯久属者㣘一士之偏議変数朝之定律臣切計之不若窮作楽之源為致治之本使政令平簡民物熈洽海内撃壤鼓腹以歌太平斯乃上世之楽可得以気象求乎既逹其源又当究当今之所急国家方夏寧一又弛辺備犬戎之性豈能常保願陛下与左右弼臣緩茲求楽之誠移訪安邉之議急其所急在理為長遂詔将来南郊用和峴旧楽
書き下し
詔して、阮逸・胡瑗等の造る所の鍾律を同詳定せしむ。公曰く、祖宗の舊法、遵用すること斯に久し。屬者、一士の偏議に㣘りて數朝の定律を變ず。臣切に之を計るに、樂を作るの源を窮めて致治の本と爲すに若かず。政令をして平簡ならしめ、民物熈洽し、海内擊壤鼓腹して以て太平を歌わば、斯れ乃ち上世の樂なり。氣象を以て求むるを得可けんや。既に其の源に達せば、又た當に當今の急とする所を究むべし。國家方に夏寧一なるも、又た邊備を弛む。犬戎の性、豈に能く常に保たんや。願わくは陛下、左右の弼臣と、茲の樂を求むるの誠を緩め、移して邊を安んずるの議を訪ねられんことを。其の急を急とするは、理に在りて長と爲すと。遂に詔して、將來の南郊には和峴の舊樂を用いしむ。
現代語訳
詔があって、阮逸・胡瑗らが作った鐘の音律を一緒に審議させた。韓琦は言った。「祖宗の古い法は、従い用いてきて久しいものです。近ごろ、一人の学者の偏った議論によって、数代にわたって定まってきた音律を変えようとしています。臣が切実に考えますに、楽を作る源を突き詰めて、それを世を治める根本とするのに及びません。政令を平らかで簡素にし、民も物も和らぎうるおい、国じゅうが土を打ち腹鼓を打って太平を歌うなら、それこそが上代の楽です。(楽の)気配や形のほうから求めて得られるものでしょうか。その源に達したうえで、さらに、いま何が急務かを突き詰めるべきです。国家はいま中国が安らかに一つになっていますが、辺境の備えのほうは緩めています。犬戎の性質が、いつまでも変わらずにいられましょうか。願わくは陛下、左右の輔佐の臣とともに、この楽を求める熱意をいったん緩め、それを辺境を安んじる議論へ移してくださいますよう。急ぐべきものを急ぐのが、道理として上策です」。そこで詔があって、今後の南郊の祭りには和峴の古い楽を用いることになった。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』離婁上 第九章七年の病に三年の艾の譬喩、尤も人口に膾炙す。実に古今の格言なり。既往は咎めずして可なり、来者を以て是れを論ぜん。夷虜の病は七年や十年の病に非ず、数十百年の病なり。守備の艾は一日は一日の功あり、十日は十日、百日は百日、一年は一年、三年は三年の功あり。今日より艾を取りて乾すべし。猶予することなかれ。又学業の事に就きて考ふべし。人皆云ふ、余をして今十年を早からしめば、何の業を成さん、何の芸を修めんと。是れ皆七年の病に三年の艾の譬へなり。即日より思ひ立ちて業を始め芸を試むべし。何ぞ年の早晩を論ぜんや。諺に云ふ、思ひ立つたが吉日と。正に艾を求むるの良術なり。
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『家道訓』巻之二・総論中一もろこしの諺に、かねて後の用心なきことをそしりて曰、三月に桑をうゑんことをおもひ、六月に塘を掘らんことをおもふ。言ふ意は、三月蠶を飼ふ時にいたりて、はじめて桑をうゑんことをおもひ出し、六月旱する時にいたりて、はじめて塘を掘らんことをおもひ出すは、かねて後の用心をせざる人のゆだんなる事をいへり。遠き慮なければ、必ず近き憂あり。家ををさむるには、万のこと後を慮りて、かねてはやく其の用意をすべし。如此すれば、時にのぞみてにはかに行きあたりくるしまず。中庸にも、凡事前に定むれば不跲といへり。初にうれへざれば、をはりに楽なし。
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『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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