宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
初韓魏公知揚州介甫以新進士僉書判官事魏公雖重其學而不以吏事許之介甫秩滿去㑹有上韓公書者多用古字韓公笑而謂僚屬曰惜王廷評不在此其人頗識難字介甫聞以為輕已由是怨之
新字:初韓魏公知揚州介甫以新進士僉書判官事魏公雖重其学而不以吏事許之介甫秩満去会有上韓公書者多用古字韓公笑而謂僚属曰惜王廷評不在此其人頗識難字介甫聞以為軽已由是怨之
書き下し
初め韓魏公揚州を知る。介甫新進士を以て僉書判官事たり。魏公其の學を重んずと雖も、吏事を以て之を許さず。介甫秩滿ちて去る。會ミ韓公に書を上る者有り、多く古字を用う。韓公笑いて僚屬に謂いて曰く、惜しいかな王廷評の此に在らざるは。其の人頗る難字を識ると。介甫聞きて以て己を輕んずと爲す。是に由りて之を怨む。
現代語訳
はじめ韓琦が揚州の知事であったとき、王安石は新進士として僉書判官事であった。韓琦はその学問を重んじたけれども、実務については認めなかった。王安石は任期が満ちて去った。ちょうど韓琦に文書を差し出す者があって、古い字を多く用いていた。韓琦は笑って属僚に言った。「惜しいことに、王廷評がここにいない。あの人は難しい字をよく知っているのだが」。王安石はこれを聞いて、自分を軽んじたものと受け取った。これによって韓琦を怨んだ。
解説
その場に悪意はありません。褒め言葉ですらあります。あの人は難しい字をよく知っているのだが。ただ、前提が置いてありました。韓琦はその学問を重んじたけれども、実務については認めなかった。学問だけを認められていた人に、字の知識を惜しがる言葉が届く。褒めているのに、認めていない範囲がそのまま輪郭になります。王安石はこれを聞いて、自分を軽んじたものと受け取った。後の対立の起点として、この巻はこの一言を残しました。
この章句が説くこと
魏公其の学を重んずと雖も吏事を以て之を許さず会ミ韓公に書を上る者有り多く古字を用う惜しいかな王廷評の此に在らざるは其の人頗る難字を識る介甫聞きて以て己を軽んずと為す是に由りて之を怨む誤解評価
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