宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
公為相因進對言嘗聞徳音以搢紳多務奔競非裁抑之無以厚風俗莫若稍旌恬退之人則躁競者自知愧恥乃薦王安石韓維張瓌皆擢用焉龎籍時為樞使公與之同議省兵汰為民者六萬減廪給之半者又二萬
新字:公為相因進対言嘗聞徳音以搢紳多務奔競非裁抑之無以厚風俗莫若稍旌恬退之人則躁競者自知愧恥乃薦王安石韓維張瓌皆擢用焉龎籍時為枢使公与之同議省兵汰為民者六万減廪給之半者又二万
書き下し
公相と爲り、進對に因りて言う、嘗て德音を聞くに、搢紳多く奔競に務む、之を裁抑するに非ざれば以て風俗を厚くする無しと。稍ミ恬退の人を旌すに若くは莫し。則ち躁競する者は自ら愧恥を知らんと。乃ち王安石・韓維・張瓌を薦む。皆擢用せらる。龐籍時に樞使爲り。公と之と同じく兵を省くを議し、汰して民と爲す者六萬、廩給を減じて半ばと爲す者又た二萬なり。
現代語訳
文彦博は宰相となり、御前に進んだ折に言った。「かつてお言葉をうかがいましたところ、官人の多くは走り回って競い合うことに努めている、これを抑えなければ風俗を厚くすることはできない、とのことでした。それには、静かに退いている人を少しずつ表彰するに越したことはありません。そうすれば、あくせく競う者は自ら恥を知るようになります」。そこで王安石・韓維・張瓌を推薦した。みな抜擢された。龐籍が当時、枢密使であった。文彦博とともに兵員の削減を議し、削って民に戻した者が六万、俸給を半分に減らした者がさらに二万であった。
解説
抑えたい行動があるとき、その行動を罰する手は、たいてい効きません。抑えるべき対象を追いかけることになるからです。**静かに退いている人を少しずつ表彰するに越したことはありません。**逆側に光を当てて、比較で恥を生じさせる。**そうすれば、あくせく競う者は自ら恥を知るようになります。**そして実際に三人を挙げました。ただ、その筆頭が王安石です。**王安石・韓維・張瓌を推薦した。みな抜擢された。**この巻の後半で、この人は王安石と正面から衝突します。
この章句が説くこと
搢紳多く奔競に務む之を裁抑するに非ざれば以て風俗を厚くする無し稍ミ恬退の人を旌すに若くは莫し則ち躁競する者は自ら愧恥を知らん乃ち王安石韓維張瓌を薦む皆擢用せらる風俗抑制
関連する章句
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