宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
紹聖三年徙賀州謫詞云朕於庶言無不嘉納至於以訐為直以無為有則在所不赦公云吾論事多矣皆可以為罪也亦不知所坐何事後乃知坐向言乳媼事惇卞以謂上疏太母所以離間哲宗也然公先上皇帝疏後數日乃上太母疏止是勸上以愛身修徳太母以保䕶上躬而巳
新字:紹聖三年徙賀州謫詞云朕於庶言無不嘉納至於以訐為直以無為有則在所不赦公云吾論事多矣皆可以為罪也亦不知所坐何事後乃知坐向言乳媼事惇卞以謂上疏太母所以離間哲宗也然公先上皇帝疏後数日乃上太母疏止是勧上以愛身修徳太母以保䕶上躬而巳
書き下し
紹聖三年、賀州に徙る。謫詞に云う、朕は庶言に於いて嘉納せざる無し。訐を以て直と爲し、無を以て有と爲すに至りては、則ち赦さざる所に在り、と。公云う、吾事を論ずること多し。皆な以て罪と爲す可きなり。亦た坐する所何事なるかを知らず、と。後に乃ち向に乳媼の事を言うに坐するを知る。惇・卞以謂えらく、太母に疏を上るは、哲宗を離間する所以なり、と。然れども公先ず皇帝に疏し、後數日にして乃ち太母に疏す。止だ是れ上に勸むるに身を愛し德を修むるを以てし、太母には上躬を保護するを以てするのみ。
現代語訳
紹聖三年、賀州に移された。流罪を告げる文にはこうあった。「朕はもろもろの言葉について、受け入れなかったことがない。ただ、あばき立てを真っ直ぐさとし、無いことを有ることとするにいたっては、赦せないところである」。范祖禹は言った。「私は事を論じたことが多い。どれも罪とすることができる。いったい何によって罪に問われたのかも分からない」。後になって、以前に乳母の件を言ったことで罪に問われたのだと分かった。章惇と蔡卞はこう言った。「太后に上疏したのは、哲宗との仲を裂くためである」と。しかし范祖禹は先に天子に上疏し、その数日後に太后に上疏している。そこで述べたのは、天子には身を大切にし徳を修めるようにと勧め、太后には天子のお体を守るようにと願っただけであった。
解説
流刑の理由が、本人に知らされていません。**私は事を論じたことが多い。どれも罪とすることができる。いったい何によって罪に問われたのかも分からない。**言論で罪を作るときは、どの一件でも足ります。判明した罪状は、諫めたこと自体ではなく、二通出したという順序でした。**太后に上疏したのは、哲宗との仲を裂くためである。**この書は、その言い分に事実を並べて反証しています。**先に天子に上疏し、その数日後に太后に上疏している。**
この章句が説くこと
朕は庶言に於いて嘉納せざる無し訐を以て直と為し無を以て有と為すに至りては則ち赦さざる所に在り吾事を論ずること多し皆な以て罪と為す可きなり亦た坐する所何事なるかを知らず太母に疏を上るは哲宗を離間する所以なり罪状言論
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹太皇太后内に大策を定めて陛下を擁立す。聽政の初め、詔令の下る所、百姓呼舞す。至公無私、焦刻勞苦、專心一意して陛下を保佑し、奸邪を斥逐し、僥倖を裁抑す。九年の間、始終一の如し。故に德澤深厚にして百姓に結ぶと雖も、而れども小人の怨む者も亦た少なからず。
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