宋名臣言行録 / 前集巻二・呂端
太宗大漸李太后與宣政使王繼恩忌太子英明隂與參政李昌齡殿前指揮使李繼勲知制誥胡旦謀立潞王元佐太宗崩太后使繼恩召端端知有變鎖繼恩于閤内使人守之而入太后謂曰宮車巳晏駕立嗣以長順也今將何如端曰先帝立太子正為今日豈可違先帝之命更有異議乃迎太子立之
新字:太宗大漸李太后与宣政使王継恩忌太子英明陰与参政李昌齢殿前指揮使李継勲知制誥胡旦謀立潞王元佐太宗崩太后使継恩召端端知有変鎖継恩于閤内使人守之而入太后謂曰宮車巳晏駕立嗣以長順也今将何如端曰先帝立太子正為今日豈可違先帝之命更有異議乃迎太子立之
書き下し
太宗大漸す。李太后、宣政使王繼恩と太子の英明なるを忌み、隂かに參政李昌齡・殿前指揮使李繼勲・知制誥胡旦と謀りて潞王元佐を立てんとす。太宗崩ず。太后、繼恩をして端を召さしむ。端、變有るを知り、繼恩を閤内に鎖し、人をして之を守らしめて入る。太后謂いて曰く、宮車巳に晏駕す。嗣を立つるに長を以てするは順なり。今將に何如せんとすと。端曰く、先帝太子を立てしは、正に今日の為なり。豈に先帝の命に違いて更に異議有る可けんやと。乃ち太子を迎えて之を立つ。
現代語訳
太宗の病が重くなった。李太后は宣政使の王継恩とともに、太子が英明であることを忌み、ひそかに参知政事の李昌齢、殿前指揮使の李継勲、知制誥の胡旦と謀って、潞王元佐を立てようとした。太宗が崩じた。太后は王継恩に呂端を召しに行かせた。呂端は異変があると察し、王継恩を部屋に閉じ込め、人に見張らせてから参内した。太后は言った。「宮車はすでに世を去った。跡継ぎを立てるのに年長を立てるのが順序である。いま、どうしたものか」。呂端は言った。「先帝が太子を立てられたのは、まさに今日のためです。どうして先帝の命に背いて、別の議があってよいでしょうか」。そして太子を迎えて即位させた。
解説
「大事にはぼんやりしていない」の実例その二、皇位継承の日です。動きが二つあります。まず**呼びに来た使者そのものを部屋に閉じ込め、見張りを付けてから参内した。**先に手足を止めています。次が太后への一行でした。先帝が太子を立てられたのは、まさに今日のためです、と。議論を始めず、すでに決まっていることの確認に変えてしまった。日ごろぼんやりしていると言われた人の、二手だけの動きです。
この章句が説くこと
端変有るを知り継恩を閤内に鎖し人をして之を守らしめて入る先帝太子を立てしは正に今日の為なり豈に先帝の命に違いて更に異議有る可けんや非常時決断継承
関連する章句
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