宋名臣言行録 / 前集巻七・种世衡
慶厯三年春范文正巡邉至為環慶經略使知環州以屬羌多懐貳心宻與元昊通以世衡素得屬羌心而青澗城已完乃奏徙世衡知環州以鎮撫之有牛奴訛素屈強未嘗出見州官聞世衡至乃來郊迎世衡與約明日當至其帳慰勞部落是夕雪深三尺左右曰奴訛凶詐難信且道險不可行世衡曰吾方以信結諸羌可失期耶遂冒雪而往既至奴訛大驚曰吾世居此山漢官無敢至者公了不我疑耶帥部落羅拜皆感激心服
新字:慶厯三年春范文正巡邉至為環慶経略使知環州以属羌多懐貳心宻与元昊通以世衡素得属羌心而青澗城已完乃奏徙世衡知環州以鎮撫之有牛奴訛素屈強未嘗出見州官聞世衡至乃来郊迎世衡与約明日当至其帳慰労部落是夕雪深三尺左右曰奴訛凶詐難信且道険不可行世衡曰吾方以信結諸羌可失期耶遂冒雪而往既至奴訛大驚曰吾世居此山漢官無敢至者公了不我疑耶帥部落羅拝皆感激心服
書き下し
慶厯三年の春、范文正、邉を巡りて至り、環慶經略使と為り、環州を知る。屬羌の多く貳心を懐き、宻かに元昊と通ずるを以て、世衡の素より屬羌の心を得て、而して青澗城已に完きを以て、乃ち奏して世衡を徙して環州を知らしめ、以て之を鎮撫せしむ。牛奴訛なる者有り。素より屈強にして、未だ嘗て出でて州官に見えず。世衡の至るを聞き、乃ち來りて郊迎す。世衡、約するに明日、當に其の帳に至りて部落を慰勞すべしと。是の夕、雪深きこと三尺。左右曰く、奴訛は凶詐にして信じ難し。且つ道險にして行く可からずと。世衡曰く、吾れ方に信を以て諸羌を結ぶ。期を失う可けんやと。遂に雪を冒して往く。既に至る。奴訛大いに驚きて曰く、吾れ世々此の山に居る。漢官、敢えて至る者無し。公、了に我を疑わざるかと。部落を帥いて羅拜す。皆な感激して心服す。
現代語訳
慶暦三年の春、范仲淹が辺境を巡って来て、環慶経略使となり、環州の長官となった。帰順した羌族の多くが二心を抱いて、ひそかに趙元昊と通じていたので、种世衡がもとより羌族の心を得ており、そのうえ青澗城がもう完成していたので、そこで奏上して种世衡を移して環州の長官とし、それによって鎮め慰撫させた。牛奴訛という者があった。もともと強情で、一度も出て来て州の役人に会ったことがなかった。种世衡が着任したと聞いて、そこで郊外まで出迎えに来た。种世衡は、明日その天幕へ行って部落をねぎらう、と約束した。その夕方、雪が三尺も積もった。側近は言った。「牛奴訛は凶悪で詐りが多く、信じがたい。そのうえ道は険しく行けません」。种世衡は言った。「私はまさに信によって諸々の羌族を結ぼうとしている。期日を違えてよいものか」。そこで雪を冒して行った。着いた。牛奴訛はひどく驚いて言った。「私は代々この山に住んでいる。漢の官人で、あえて来た者はない。公はまったく私を疑わないのか」。部落を率いて並んで拝んだ。みな感激して心服した。
解説
この章句が説くこと
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論語・衛霊公篇子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は、吾蹈みて死する者を見たり。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。
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孫子・地形篇夫れ勢均しきに、一を以て十を撃つを、走と曰う。卒強く吏弱きを、弛と曰う。吏強く卒弱きを、陥と曰う。大吏怒りて服せず、敵に遇いて懟みて自ら戦い、将其の能を知らざるを、崩と曰う。将弱くして厳ならず、教道明らかならず、吏卒常無く、兵を陳ぬること縦横なるを、乱と曰う。将敵を料る能わず、少を以て衆に合い、弱を以て強を撃ち、兵に選鋒無きを、北と曰う。凡そ此の六者は、敗の道なり。将の至任、察せざるべからず。
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