宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
嘉祐六年秋諌官司馬光知江州吕誨有疏論述仁宗□曰朕有意多時矣但未得其人既而左右顧曰宗室中孰為可韓公對曰此事豈臣下敢議當出自聖擇上曰宫中嘗養二子小者甚純然近不慧大者可也遂啓曰其名謂何上即道今上舊名曰名某今二十嵗矣余等遂力賛之議乃定
新字:嘉祐六年秋諌官司馬光知江州呂誨有疏論述仁宗□曰朕有意多時矣但未得其人既而左右顧曰宗室中孰為可韓公対曰此事豈臣下敢議当出自聖択上曰宮中嘗養二子小者甚純然近不慧大者可也遂啓曰其名謂何上即道今上旧名曰名某今二十歳矣余等遂力賛之議乃定
書き下し
嘉祐六年秋、諫官司馬光江州を知す。呂誨に疏有りて論述す。仁宗□曰く、朕意有ること多時なり。但だ未だ其の人を得ずと。既にして左右を顧みて曰く、宗室の中、孰れか可と爲すと。韓公對えて曰く、此の事豈に臣下敢えて議せんや。當に聖擇より出づべしと。上曰く、宮中嘗て二子を養う。小さき者は甚だ純然たるも、近ごろ慧からず。大なる者可なりと。遂に啓して曰く、其の名は何と謂うと。上即ち今上の舊名を道いて曰く、名は某、今二十歳なりと。余等遂に力めて之を賛す。議乃ち定まる。
現代語訳
嘉祐六年秋、諫官の司馬光が江州の知事となった。呂誨に上疏があって論じた。仁宗は〔一字を欠く〕言った。「朕には長らくその意思がある。ただ、まだその人を得ていないのだ」。やがて左右を見回して言った。「宗室の中では、誰がよいだろうか」。韓琦は答えて言った。「この事は、どうして臣下があえて議しましょうか。まさに陛下のお選びから出るべきです」。天子は言った。「宮中でかつて二人の子を養った。小さいほうはたいそう素直だが、近ごろ聡明さに欠ける。大きいほうがよいだろう」。そこで申し上げた。「その名は何と申しますか」。天子はすぐ今上の旧名を口にして「名は某、いま二十歳である」と言った。私たちはついに力を尽くしてこれに賛成した。議はそこで定まった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』十六編・心事と働きと相当すべきの論・心事高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ず第一 人の働きには、大小軽重の別あり。芝居も人の働きなり、学問も人の働きなり、人力車を挽くも、蒸気船を運用するも、鍬をとりて農業するも、筆を揮いて著述するも、等しく人の働きなれども、役者たるを好まずして学者たるを勤め、車挽きの仲間に入らずして航海の術を学び、百姓の仕事を不満足なりとして著書の業に従事するがごときは、働きの大小軽重を弁別し、軽小を捨てて重大に従うものなり。人間の美事と言うべし。然りしこうして、そのこれを弁別せしむるものはなんぞや。本人の心なり、また志なり。かかる心志ある人を名づけて心事高尚なる人物と言う。ゆえにいわく、人の心事は高尚ならざるべからず、心事高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ざるなり。
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うひ山ぶみ・第八段然はあれども、まづかの学のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、
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『呻吟語』内篇・問學・學は擇ぶ有るを貴ぶ百家を羅ぬる者は、浩瀚の詞多し。一家に工みなる者は、獨詣の語有り。學者限り有るの目力を以て、其の律涯を竟へんと欲し、鹵莽の心思を以て、其の蘊奧を探らんと欲す。豈に難からずや。故に學は擇ぶ有るを貴ぶ。
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孫子・行軍篇之を令するに文を以てし、之を斉うるに武を以てす。是を必取と謂う。

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