宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
前三司使王拱辰請㩁河北鹽既立法矣而未下公見上問曰河北再搉鹽何也仁宗驚曰始立法非再也公曰周世宗搉河北鹽犯輒處死世宗北伐父老遮道泣訴願以鹽課均之兩税而弛其禁世宗許之今兩税鹽錢是也豈非再搉乎仁宗大悟曰卿語宰相立罷之公曰法雖未下民巳户知之當直以手詔罷不可自有司出也仁宗大喜命公宻撰手詔罷之河朔父老相率拜迎於澶州為佛老㑹者七日以報上恩且刻詔書北京至今父老過其下必稽首流涕
新字:前三司使王拱辰請㩁河北塩既立法矣而未下公見上問曰河北再搉塩何也仁宗驚曰始立法非再也公曰周世宗搉河北塩犯輒処死世宗北伐父老遮道泣訴願以塩課均之両税而弛其禁世宗許之今両税塩銭是也豈非再搉乎仁宗大悟曰卿語宰相立罷之公曰法雖未下民巳戸知之当直以手詔罷不可自有司出也仁宗大喜命公宻撰手詔罷之河朔父老相率拝迎於澶州為仏老会者七日以報上恩且刻詔書北京至今父老過其下必稽首流涕
書き下し
前の三司使王拱辰、河北の鹽を榷せんことを請う。既に法を立つるも未だ下さず。公上に見えて問いて曰く、河北再び鹽を榷するは何ぞやと。仁宗驚きて曰く、始めて法を立つるなり。再びに非ずと。公曰く、周の世宗河北の鹽を榷し、犯さば輒ち死に處す。世宗北伐するや、父老道を遮りて泣訴し、鹽課を兩税に均して其の禁を弛めんことを願う。世宗之を許す。今の兩税の鹽錢は是れなり。豈に再び榷するに非ざらんやと。仁宗大いに悟りて曰く、卿宰相に語れ。立ちどころに之を罷めよと。公曰く、法未だ下らずと雖も、民已に戸ごとに之を知る。當に直ちに手詔を以て罷むべし。有司より出だす可からずと。仁宗大いに喜び、公に命じて密かに手詔を撰して之を罷めしむ。河朔の父老相い率いて澶州に拜迎し、佛老の會を爲すこと七日、以て上の恩に報ゆ。且つ詔書を刻む。北京は今に至るまで、父老其の下を過ぐれば必ず稽首して流涕す。
現代語訳
前の三司使の王拱辰が、河北の塩を専売にすることを願い出た。すでに法は立てられたが、まだ公布していなかった。張方平は天子に会って問うた。「河北で再び塩を専売にするとは、どういうことですか」。仁宗は驚いて言った。「はじめて法を立てるのだ。再びではない」。張方平は言った。「後周の世宗は河北の塩を専売にし、犯せばただちに死罪としました。世宗が北伐したとき、父老たちが道をふさいで泣いて訴え、塩の課税を両税に振り分けて、その禁を緩めるよう願いました。世宗はこれを許しました。いまの両税に含まれる塩銭がそれです。どうして再びの専売でないと言えましょうか」。仁宗は大いに悟って言った。「卿、宰相に伝えよ。ただちにこれを取りやめよ」。張方平は言った。「法はまだ公布されておりませんが、民はすでに家ごとにこれを知っております。ただちに直筆の詔をもって取りやめるべきです。担当の役所から出してはなりません」。仁宗は大いに喜び、張方平に命じてひそかに直筆の詔を書かせて取りやめさせた。河朔の父老たちは連れ立って澶州に迎え拝み、仏事の会を七日にわたって催して、天子の恩に報いた。そのうえ詔書を石に刻んだ。北京では今に至るまで、父老はその下を通れば必ず頭を垂れて涙を流す。
解説
この章句が説くこと
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