宋名臣言行録 / 前集巻八・王徳用
自寳元慶厯之間元昊叛河西兵久無功士大夫争進計䇿多所改作公笑曰奈何紛紛兵法不如是也使士知畏愛而怯者勇勇者不驕以吾可勝因敵而勝之耳豈多言哉
新字:自寳元慶厯之間元昊叛河西兵久無功士大夫争進計策多所改作公笑曰奈何紛紛兵法不如是也使士知畏愛而怯者勇勇者不驕以吾可勝因敵而勝之耳豈多言哉
書き下し
寳元・慶厯の間より、元昊叛き、河西の兵、久しく功無し。士大夫、争いて計䇿を進め、改作する所多し。公笑いて曰く、奈何ぞ紛紛たる。兵法は是くの如くならず。士をして畏愛を知らしめて、怯者は勇に、勇者は驕らざらしむ。吾が勝つ可きを以て、敵に因りて之に勝つのみ。豈に多言ならんやと。
現代語訳
宝元・慶暦の間から、趙元昊が叛いて、河西の兵は長らく功が無かった。士大夫は争って策を出し、改めることが多かった。公は笑って言った。「なんと紛糾していることか。兵法はそういうものではない。兵に畏れと親しみを知らせて、臆病な者を勇ましくし、勇ましい者を驕らせないようにする。こちらの勝てる形をもって、敵の出方に応じて勝つだけだ。どうして多くを言う必要があろう」。
解説
策が次々に出て紛糾している中で、笑って言った条です。**兵法はそういうものではない。**そして中身が二つだけでした。**兵に畏れと親しみを知らせて、臆病な者を勇ましくし、勇ましい者を驕らせない。こちらの勝てる形をもって、敵の出方に応じて勝つ。**先に自軍を整え、それから相手に合わせる。**どうして多くを言う必要があろう。**
この章句が説くこと
士大夫争いて計策を進め改作する所多し士をして畏愛を知らしめて怯者は勇に勇者は驕らざらしむ吾が勝つ可きを以て敵に因りて之に勝つのみ豈に多言ならんや兵法簡明練兵
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