宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
初夏人方議和公以謂邉備不可弛請與范公俱出按行遂命公宣撫陜西范公宣撫河東范請益兵屯河陽蒲中及以兵從公以為不必請兵上前議未合退於殿廬中猶争公曰若爾則臣乞自行不用朝廷一人一騎范色忿欲再請對道公語公笑止之㑹富公賛公說卒不發兵范亦不以為忤
新字:初夏人方議和公以謂邉備不可弛請与范公倶出按行遂命公宣撫陜西范公宣撫河東范請益兵屯河陽蒲中及以兵従公以為不必請兵上前議未合退於殿廬中猶争公曰若爾則臣乞自行不用朝廷一人一騎范色忿欲再請対道公語公笑止之会富公賛公説卒不発兵范亦不以為忤
書き下し
初め夏人方に和を議す。公以謂えらく邉備弛む可からずと。范公と俱に出でて按行せんことを請う。遂に公に陜西を宣撫し、范公に河東を宣撫するを命ず。范、兵を益して河陽・蒲中に屯し、及び兵を以て從わんことを請う。公以爲えらく必ずしも兵を請わずと。上前に議して未だ合わず。退きて殿廬の中に於いて猶お爭う。公曰く、若し爾らば則ち臣自ら行かんことを乞う。朝廷の一人一騎をも用いじと。范色忿り、再び對を請いて公の語を道わんと欲す。公笑いて之を止む。會ミ富公、公の説を賛す。卒に兵を發せず。范も亦た以て忤と爲さず。
現代語訳
そもそも夏の人々がちょうど和を議していたころ、韓琦は辺境の備えを緩めてはならないと考え、范仲淹とともに出て巡視することを願い出た。そこで韓琦に陝西の宣撫を、范仲淹に河東の宣撫を命じた。范仲淹は、兵を増やして河陽と蒲中に駐屯させ、また兵を連れて行くことを願い出た。韓琦は、必ずしも兵を求める必要はないと考えた。天子の前で議論して意見が合わなかった。退いて、殿の控えの間でなお争った。韓琦は言った。「そういうことであれば、臣は自分一人で行かせていただきたい。朝廷の一人の兵も一騎の馬も用いません」。范仲淹は色をなして怒り、もう一度謁見を願って韓琦の言葉を天子に告げようとした。韓琦は笑ってこれを止めた。ちょうど富弼が韓琦の説に賛成した。けっきょく兵は出さなかった。范仲淹もこれを恨みには思わなかった。
解説
前の条で組んでいた二人が、正面から割れた条です。片方は兵を増やせと言い、片方は要らないと言う。天子の前で決着せず、控えの間まで持ち越して争っています。**そういうことであれば、臣は自分一人で行かせていただきたい。朝廷の一人の兵も一騎の馬も用いません。**言い切ったほうも極端です。相手は怒って天子に言いつけようとし、**韓琦は笑ってこれを止めた。**そして結びの一行。**范仲淹もこれを恨みには思わなかった。**割れたことを隠さず、割れたまま関係が続いたことを書いています。
この章句が説くこと
范兵を益して河陽蒲中に屯せんことを請う公以為えらく必ずしも兵を請わず臣自ら行かんことを乞う朝廷の一人一騎をも用いじ范も亦た以て忤と為さず対立決裂信頼
関連する章句
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