宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
逾月復以命公時元昊使辭上俟公綴樞密院班乃坐且使宰相章得象諭公曰此朝廷特命非以使北故也公不得已乃受
新字:逾月復以命公時元昊使辞上俟公綴枢密院班乃坐且使宰相章得象諭公曰此朝廷特命非以使北故也公不得已乃受
書き下し
月を逾えて復た以て公に命ず。時に元昊の使い辭す。上、公の樞密院の班に綴るを俟ちて乃ち坐す。且つ宰相章得象をして公に諭さしめて曰く、此れ朝廷の特命なり。北に使いするを以ての故に非ざるなりと。公已むを得ず乃ち受く。
現代語訳
月を越えてまた富弼に任命を下した。ちょうど元昊の使者が暇を告げるときであった。天子は、富弼が枢密院の列に加わるのを待ってから座に着いた。そのうえで宰相の章得象に富弼へ告げさせて言った。「これは朝廷としての特別の任命である。北に使いしたゆえのものではない」。富弼はやむを得ず、そこで受けた。
解説
受けさせるために、天子の側が二つ手を打っています。ひとつは席順でした。富弼が枢密院の列に加わるのを待ってから座に着いた。元昊の使者の前で、任命が既定のこととして見えるようにしている。もうひとつが言葉です。これは朝廷としての特別の任命である。北に使いしたゆえのものではない。富弼が受けられなかったのは、和議の功による昇進に見えることでした。その一点を先に消してから渡している。断る理由を外してやるのが、渡し方の要諦でした。
この章句が説くこと
上公の枢密院の班に綴るを俟ちて乃ち坐す宰相章得象をして公に諭さしむ此れ朝廷の特命なり北に使いするを以ての故に非ざるなり公已むを得ず乃ち受く昇進功
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