宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
景徳中李迪賈邉皆舉進士有名當時及就省試主文咸欲取之既而皆不與取其巻視之迪以賦落韻邉以當仁不讓於師論以師為衆與注疏異説乃為奏具道所以乞特收試時公為相議曰迪雖犯不考然出於不意其過可恕如邉特立異説將令後生務為穿鑿漸不可長遂收迪而黜邉
新字:景徳中李迪賈邉皆舉進士有名当時及就省試主文咸欲取之既而皆不与取其巻視之迪以賦落韻邉以当仁不譲於師論以師為衆与注疏異説乃為奏具道所以乞特収試時公為相議曰迪雖犯不考然出於不意其過可恕如邉特立異説将令後生務為穿鑿漸不可長遂収迪而黜邉
書き下し
景徳中、李迪・賈邉皆な進士に舉げられ、當時に名有り。省試に就くに及び、主文咸な之を取らんと欲す。既にして皆な與らず。其の巻を取りて之を視れば、迪は賦を以て韻を落とし、邉は「當に仁に師に讓らず」の論を以て、師を以て衆と為し、注疏と異説なり。乃ち奏を為して具さに所以を道い、特に收試せんことを乞う。時に公相と為り、議して曰く、迪は不考を犯すと雖も、然れども不意に出づ。其の過ちは恕す可し。邉の如きは特に異説を立つ。將に後生をして務めて穿鑿を為さしめんとす。漸くする可からずと。遂に迪を收めて邉を黜く。
現代語訳
景徳年間、李迪と賈辺はどちらも進士に挙げられ、当時よく知られていた。省試を受けたとき、試験官はみな二人を採ろうとした。ところが二人とも合格に入らなかった。その答案を取って見ると、李迪は賦で韻を外し、賈辺は「仁に当たっては師にも譲らず」の論で「師」を「衆」の意味に取り、注釈と異なる説を立てていた。そこで奏上して事情をつぶさに述べ、特別に採ってほしいと願い出た。当時、公は宰相であり、議して言った。「李迪は不合格の規定に触れたとはいえ、それは思いがけず出たものだ。その過ちは許してよい。賈辺のほうは、わざわざ異なる説を立てている。後進の者に、こじつけを事とさせることになる。その芽を育ててはならない」。そこで李迪を採り、賈辺を落とした。
解説
同じ「規定に触れた」二人を、逆の扱いにした条です。**李迪は韻を外した、これはうっかりだから許せる。賈辺は注釈と違う説を立てた、これは後進にこじつけを事とさせる。**片方は技術上の失敗、もう片方は意図してやったこと。過失と方針を分け、方針のほうを落としています。理由も本人ではなく後進への影響に置かれました。落とした賈辺を悪人だとは一言も言っていません。
この章句が説くこと
迪は不考を犯すと雖も然れども不意に出づ其の過ちは恕す可し邉の如きは特に異説を立つ将に後生をして務めて穿鑿を為さしめんとす漸くする可からず規則過失意図
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