宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
哲宗親政吕汲公欲遷殿中侍御史楊畏為諌議大夫忠宣曰天子諌官當用正人楊畏不可用汲公方約畏為助謂忠宣曰豈以楊畏嘗言公耶忠宣曰不知也蓋上初召忠宣畏嘗有言上不行忠宣故不知也忠宣因乞罷政上不許後楊畏首叛汲公凡可以害汲公者無所不至
新字:哲宗親政呂汲公欲遷殿中侍御史楊畏為諌議大夫忠宣曰天子諌官当用正人楊畏不可用汲公方約畏為助謂忠宣曰豈以楊畏嘗言公耶忠宣曰不知也蓋上初召忠宣畏嘗有言上不行忠宣故不知也忠宣因乞罷政上不許後楊畏首叛汲公凡可以害汲公者無所不至
書き下し
哲宗親政す。呂汲公殿中侍御史楊畏を遷して諫議大夫と爲さんと欲す。忠宣曰く、天子の諫官は當に正人を用うべし。楊畏は用う可からずと。汲公方に畏を約して助と爲さんとす。忠宣に謂いて曰く、豈に楊畏の嘗て公を言えるを以てかと。忠宣曰く、知らざるなりと。蓋し上初め忠宣を召せしとき、畏嘗て言有りて上行わず。忠宣故に知らざるなり。忠宣因りて政を罷めんことを乞う。上許さず。後に楊畏首めに汲公に叛き、凡そ以て汲公を害す可き者は至らざる所無し。
現代語訳
哲宗が親政した。呂大防は殿中侍御史の楊畏を昇進させて諫議大夫にしようとした。范純仁は言った。「天子の諫官には正しい人を用いるべきです。楊畏を用いてはなりません」。呂大防はちょうど楊畏を味方に引き入れようとしていた。范純仁に言った。「まさか、楊畏がかつてあなたを悪く言ったからではありますまいな」。范純仁は言った。「知りません」。もともと天子がはじめて范純仁を召したとき、楊畏が何か言ったが天子は取り上げなかった。だから范純仁は知らなかったのである。范純仁はそこで政を辞することを願い出た。天子は許さなかった。後に楊畏はまっさきに呂大防に背き、呂大防を害しうることは何でもした。
解説
反対の理由が、私怨だと疑われた場面です。しかも疑うほうにも動機がありました。**呂大防はちょうど楊畏を味方に引き入れようとしていた。**答えが二文字です。**知りません。**弁明も、腹を立てもしていない。そして、実際に知らなかったと書き添えられています。その人が自分を悪く言ったことすら耳に入っていなかった。結末は短い。**後に楊畏はまっさきに呂大防に背いた。**
この章句が説くこと
呂汲公殿中侍御史楊畏を遷して諫議大夫と為さんと欲す天子の諫官は当に正人を用うべし楊畏は用う可からず豈に楊畏の嘗て公を言えるを以てか忠宣曰く知らざるなり後に楊畏首めに汲公に叛き凡そ以て汲公を害す可き者は至らざる所無し人選私怨
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