宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
公至中書見韓琦等曰諸公不及今定議異日夜半禁中出寸紙以某人為嗣則天下莫敢違琦等皆曰唯敢不盡力後月餘詔英宗判宗正寺固辭不就職明年遂立為皇子
新字:公至中書見韓琦等曰諸公不及今定議異日夜半禁中出寸紙以某人為嗣則天下莫敢違琦等皆曰唯敢不尽力後月余詔英宗判宗正寺固辞不就職明年遂立為皇子
書き下し
公中書に至り韓琦等に見えて曰く、諸公今に及びて議を定めずんば、異日夜半に禁中より寸紙を出だし、某人を以て嗣と爲さば、則ち天下敢えて違う莫からんと。琦等皆曰く、唯。敢えて力を盡くさざらんやと。後月餘、詔して英宗に宗正寺を判ぜしむ。固辭して職に就かず。明年、遂に立てて皇子と爲す。
現代語訳
司馬光は中書に赴いて韓琦らに会って言った。「諸公がいまのうちに議を定めておかなければ、いつか夜半に宮中から一枚の紙が出てきて、某という者を後嗣とする、となれば、天下は誰も逆らえません」。韓琦らはみな言った。「承知した。力を尽くさぬはずがない」。ひと月あまり後、詔して英宗に宗正寺の職を執らせた。固辞して職に就かなかった。翌年、ついに立てて皇子とした。
解説
宰相たちを動かした一言が、脅しでも懇願でもありません。ただ、決めなかった場合に何が起きるかを描いただけです。**いつか夜半に宮中から一枚の紙が出てきて、某という者を後嗣とする、となれば、天下は誰も逆らえません。**形式は完全に整い、誰も文句を言えない。そのとき決めているのは誰か、が抜けている。**韓琦らはみな言った。承知した。力を尽くさぬはずがない。**一枚の紙の情景だけで、全員が動きました。
この章句が説くこと
諸公今に及びて議を定めずんば異日夜半に禁中より寸紙を出だし某人を以て嗣と為さば則ち天下敢えて違う莫からん琦等皆曰く唯敢えて力を尽くさざらんや決断時機
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