宋名臣言行録 / 前集巻一・趙普
太祖欲使符彦卿典兵韓王屢諌以為彦卿名位已盛不可復委以兵柄上不聴宣已出韓王復懐之請見上曰卿苦疑彦卿何也朕待彦卿至厚彦卿能負朕耶王曰陛下何以能負周世宗上黙然遂中止
新字:太祖欲使符彦卿典兵韓王屡諌以為彦卿名位已盛不可復委以兵柄上不聴宣已出韓王復懐之請見上曰卿苦疑彦卿何也朕待彦卿至厚彦卿能負朕耶王曰陛下何以能負周世宗上黙然遂中止
書き下し
太祖、符彦卿をして兵を典らしめんと欲す。韓王屢々諌めて、彦卿の名位已に盛んなれば、復た委ぬるに兵柄を以てす可からずと以為えり。上聴かず。宣已に出づ。韓王復た之を懐にして見えんことを請う。上曰く、卿苦だ彦卿を疑うは何ぞや。朕、彦卿を待つこと至って厚し。彦卿能く朕に負かんや。王曰く、陛下何を以て能く周の世宗に負けるやと。上黙然として遂に中止す。
現代語訳
太祖は符彦卿に兵権を任せようとした。韓王(趙普)はたびたび諌め、符彦卿は名声も地位もすでに盛んなのだから、その上に兵権まで委ねてはならないと考えた。太祖は聞き入れなかった。任命の宣旨がもう出た。韓王はそれを懐に入れたまま、もう一度お目通りを願い出た。太祖は言った。「卿がそこまで符彦卿を疑うのはなぜか。私は彦卿をきわめて厚く待遇している。彦卿が私に背くことがあろうか」。韓王は言った。「陛下は、どうして周の世宗に背かれたのですか」。太祖は黙り込み、任命は取りやめになった。
解説
諌めが通らず、任命の宣旨まで出てしまったあとの一段です。趙普は宣旨を懐に入れたまま、もう一度会いに行きました。「私が厚遇している彦卿が背くはずがない」に対する答えが、「では陛下は、なぜ周の世宗に背かれたのですか」。太祖自身が後周の世宗に厚遇されながら位を取った人でした。相手のいちばん触れられたくない事実を一行で返しています。太祖は黙り込み、任命は取りやめになりました。
この章句が説くこと
陛下何を以て能く周の世宗に負けるや彦卿の名位已に盛んなれば復た委ぬるに兵柄を以てす可からず宣已に出づるも韓王復た之を懐にして見えんことを請う諫言前提権限
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