宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
惇卞用事必欲致公於死故方竄廣東則移廣西既抵廣西則復徙廣東凡二廣間逺惡州軍無所不至人皆謂公必死然七年之間未嘗一日病年㡬八十堅悍不衰此非人力所及殆天相也或問何以至此曰誠而巳
新字:惇卞用事必欲致公於死故方竄広東則移広西既抵広西則復徙広東凡二広間遠悪州軍無所不至人皆謂公必死然七年之間未嘗一日病年㡬八十堅悍不衰此非人力所及殆天相也或問何以至此曰誠而巳
書き下し
惇・卞事を用う。必ず公を死に致さんと欲す。故に方に廣東に竄すれば則ち廣西に移し、既に廣西に抵れば則ち復た廣東に徙す。凡そ二廣の間、遠惡の州軍、至らざる所無し。人皆な公必ず死せんと謂う。然れども七年の間、未だ嘗て一日も病まず。年幾ど八十、堅悍にして衰えず。此れ人力の及ぶ所に非ず。殆ど天の相くるなり。或るひと問う、何を以て此に至るか、と。曰く、誠のみ、と。
現代語訳
章惇と蔡卞が政を執っていた。何としても劉安世を死なせようとした。だから広東に流したかと思えば広西に移し、広西に着いたかと思えばまた広東に移した。およそ広東・広西のあいだで、遠く条件の悪い州や軍で、行かなかったところがない。人は皆、劉安世は必ず死ぬだろうと言った。ところが七年のあいだ、一日も病むことがなかった。年はほとんど八十になっても、堅く強く、衰えなかった。これは人の力の及ぶところではない。おそらくは天が助けたのであろう。ある人が尋ねた。「何によってここまでこられたのか」。答えて言った。「誠、それだけだ」。
解説
移送そのものが処刑の手段でした。**広東に流したかと思えば広西に移し、広西に着いたかと思えばまた広東に移した。**着いた先で暮らさせず、道中で倒れるのを待っています。それでも七年、一日も病みませんでした。この巻の初めで、司馬光が生涯ものとして与えた一字が、ここで答えになります。**「何によってここまでこられたのか」。答えて言った。「誠、それだけだ」。**十五字ほどの問答が、学んだ五年と流された七年の両方を締めています。
この章句が説くこと
必ず公を死に致さんと欲す故に方に広東に竄すれば則ち広西に移す凡そ二広の間遠悪の州軍至らざる所無し然れども七年の間未だ嘗て一日も病まず何を以て此に至るか曰く誠のみ誠流刑
関連する章句
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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易経・彖伝「中孚(ちゅうふ)」は、柔内に在りて剛中を得、説(よろこ)びて巽(したが)い、孚(まこと)乃(すなわ)ち邦(くに)を化するなり。「豚魚(とんぎょ)も吉なり」とは、信の豚魚に及べばなり。「大川を渉(わた)るに利(よ)ろし」とは、木に乗りて舟虚(むな)しければなり。中孚もって貞(ただ)しきに利ろしとは、乃ち天に應(おう)ずるなり。
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呂氏春秋・精通④養由基、兕を射て、石に中て、矢乃ち飲羽す。兕に誠なればなり。伯樂、馬を相するを學ぶや、見る所馬に非ざる者無し。馬に誠なればなり。宋の庖丁好んで牛を解き、見る所死牛に非ざる者無く、三年にして生牛を見ず。刀を用うること十九年、刃新たに磨研せるが若く、其の理に順う。牛に誠なればなり。鍾子期、夜、磬を撃つ者を聞きて悲しみ、人をして召さしめて之に問いて曰く、「子、何ぞ磬を撃つことの悲しきや。」答えて曰く、「臣の父、不幸にして人を殺し、生を得ず。臣の母は生を得て、公家の為に酒を為り、臣の身は生を得て、公家の為に磬を撃つ。臣、臣の母を睹ざること三年なり。昔、舍氏と為りて臣の母を睹、之を贖う所以を量るに、則ち有る無し。而して身は固より公家の財なり。是の故に悲しむなり。」鍾子期歎嗟して曰く、「悲しいかな、悲しいかな。心は臂に非ざるなり。臂は椎に非ず石に非ざるなり。悲しみ心に存すれば、而ち木石之に應ず。」故に君子、此に誠なれば、而ち彼に諭し、己に感ずれば、而ち人に發すとは、豈に必ずしも彊說ならんや。周に申喜なる者有り。其の母を亡う。乞人の門下に歌うを聞きて、之を悲しんで顏色を動かす。門者に謂いて、乞人の歌う者を内れ、自ら見て焉に問う。曰く、「何の故にして乞う。」之と語れば、蓋し其の母なり。故に父母の子に於けるや、子の父母に於けるや、一體にして兩分、同氣にして異息、草莽の華實有るが若く、樹木の根心有るが若きなり。處を異にすと雖も相通じ、隱志相及び、痛疾相救い、憂思相感じ、生きては則ち相歡び、死しては則ち相哀しむ。此を之れ骨肉の親と謂う。神は忠より出で、心に應ず。兩精相得るは、豈に言を待たんや。