宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
仁宗春秋髙繼嗣未立天下以為憂雖或有言者而大臣莫敢為議首公數乘間伏奏乞選立太子上頋曰後宫一二欲就館卿毋亟後誕育皆皇女
新字:仁宗春秋高継嗣未立天下以為憂雖或有言者而大臣莫敢為議首公数乗間伏奏乞選立太子上頋曰後宫一二欲就館卿毋亟後誕育皆皇女
書き下し
仁宗春秋髙く、繼嗣未だ立たず。天下以て憂と爲す。或いは言う者有りと雖も、大臣敢えて議の首と爲る莫し。公數ミ間に乘じて伏奏し、太子を選び立てんことを乞う。上顧みて曰く、後宮の一二、館に就かんと欲す。卿亟にする毋かれと。後に誕育するは皆皇女なり。
現代語訳
仁宗は年を重ね、跡継ぎがまだ立っていなかった。天下はこれを憂いとしていた。口にする者はあっても、大臣で議論の口火を切ろうとする者はいなかった。韓琦はたびたび機を見て人払いのうえ上奏し、太子を選んで立てるよう願った。天子は振り返って言った。「後宮に一人二人、産み月に入ろうという者がいる。卿よ、急ぐな」。のちに生まれたのは、みな皇女であった。
解説
誰もが憂えているのに、誰も先に言わない。**口にする者はあっても、大臣で議論の口火を切ろうとする者はいなかった。**後継の話は、言えば天子の死を前提にすることになるので、切り出した者が損をします。韓琦はそこへ何度も入っていきました。返ってきたのは先延ばしの理由です。**後宮に一人二人、産み月に入ろうという者がいる。急ぐな。**そして一行で落とします。**のちに生まれたのは、みな皇女であった。**確かめようのない見込みを理由にすると、こうなる。
この章句が説くこと
天下以て憂と為す大臣敢えて議の首と為る莫し公数ミ間に乗じて伏奏し太子を選び立てんことを乞う後宮の一二館に就かんと欲す卿亟にする毋かれ後に誕育するは皆皇女なり後継先送り
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦仁宗嗣未だ立たず。公、内學を置きて宗子を教うるを請う。儲を建つるの意、默して其の中に存す。事未だ行うに及ばず。仁宗勤に倦み、勢い漸く廹り、更に内學を置くに暇あらず。進對罷む毎に、即ち太子は天下の本、豫め立てて以て天下の心を係けざる可からずと論ず。語日に益ミ切なり。時に二宗子の宮中に育つ有り。公二宗子を謂いて、陛下も亦た必ず自ら其の孰れか聰明なるかを見ること能わんや否やと。上、英宗を以て言と爲す。公即ち將順して聖旨劄子を降し、權に宗正司を判せしめんことを乞う。後、兩府御劄を通簽す。張昇太尉之を見て懼れ、深く公を罪す、何ぞ之と素より議せざると。次日に及び殿上に大言す、此の事社稷に係る、陛下錯る可からずと。上曰く、此の事、相公と商量し來たれりと。昇殿を下りて中書に至り、又た公を詰る。公曰く、此れ甚だ思慮に入り來たる、錯らずと。昇退く。公笑いて曰く、若し素より議せば、豈に事を壞さざらんやと。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦英宗力めて辭す。宦官宮妾、勢い未だ便ならず。中外皆之を危ぶむ。公復た啓して曰く、陛下之に屬するに大任を以てして、肯えて當たらざるは、蓋し其の沉遠詳重にして、識慮人に過ぐる有り、他有るに非ざるなり。猶豫して決せざれば、讒慝を招き變故を生ず。且つ名未だ正しからざれば、則ち尚お以て辭するを得。名體一たび定まり、父子の分明らかなれば、則ち浮議も亦た復た搖がすを得ずと。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦仁宗欣びて納れて曰く、此くの如くんば則ち宜しく明堂の大禮の前に乘じて亟かに立てて太子と爲すべしと。乃ち樞密の大臣を召して其の事を諭す。或るひと愕きて曰く、此れ大事なり、遽かにする毋かれと。上顧みて曰く、朕が意決せりと。曰く、誠に此くの如くんば、敢えて天下の爲に賀せんと。又た學士を召して詔書を爲らしむ。學士も亦た對を請い、然る後に藁を進む。英宗既に太子と爲るも、尚お堅く卧す。公又た奏して曰く、今既に陛下の子爲り、何の間つる所あらんやと。願わくは宮人をして就きて旨を諭さしめ、及び本宮の族屬に敦く勸めしめんことを。上其の請の如くす。始めて興寧宮に就く。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦會ミ仁宗天下を棄つ。平旦に入りて大議に預る。英宗帝位に即く。宮門徐ろに開き、百官を追いて班し、遺制を宣す。衛士甲に坐し、諸司幕廡の下にて喪を治む。人情肅然たり。日午に至るまで、市肆猶お未だ知らざる者有り。公性厚重にして、未だ嘗て其の功を名とせず。其の門人親客、或いは燕坐從容として語太子定策の事に及べば、必ず色を正して曰く、此れ仁宗の聖德神斷、天下の爲に計るなり。太后母道、内助の力なり。朝廷の定議久し。臣子果たして何ぞ預らんやと。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公永興より闕を過ぐ。神宗問いて曰く、卿と王安石と議論同じからざるは何ぞやと。公曰く、仁宗の先帝を立てて皇嗣と爲す時、安石に異議有り、臣と同じからず。故なりと。帝、公の語を以て荊公に問う。公曰く、方に仁宗の先帝を立てて太子と爲さんと欲する時、春秋未だ髙からず。萬一子有らば、先帝を何れの地にか措かん。臣の論の琦と異なる所以なりと。荊公の強辯は此に類す。公、英宗を冊して皇嗣と爲さんことを請う時、仁宗曰く、少しく俟て、後宮に閣に就く者有りと。公曰く、後宮子を生まば、立つる所の嗣は舊邸に退居して可なりと。蓋し公、以て之を處する有るなり。然れども荊公、英宗の世に當たり、屢ミ詔せども至らず。實に自ら慊きなり。
-
『宋名臣言行録』後集巻十・傅堯俞仁宗春秋髙く未だ嗣を立てず。公上疏して宗室の賢を建てて以て天下の望を繋がんことを請う。