宋名臣言行録 / 前集巻十・魏野
處士魏野字仲先居於東郊架草堂有水竹之勝好彈琴作詩清苦多聞於時上祀汾隂召之辭疾不至以詩贄王文正公曰從前輔相皆頻出獨在中書十五秋泰嶽汾隂俱禮畢這迴好伴赤松遊公覽之喜形於色以酒茗藥物為荅旦得詩感悟以疾屢辭政柄遂拜太尉玉清昭應宫使(王文正遺事)野謂冦準曰自古功名葢世少有全者因與詩曰好去上天辭將相歸來平地作神仙及貶始悔不用野之言(仁宗政要)野子閑亦不仕嘉祐中賜號清逸處士
新字:処士魏野字仲先居於東郊架草堂有水竹之勝好弾琴作詩清苦多聞於時上祀汾陰召之辞疾不至以詩贄王文正公曰従前輔相皆頻出独在中書十五秋泰嶽汾陰倶礼畢這迴好伴赤松遊公覧之喜形於色以酒茗薬物為荅旦得詩感悟以疾屡辞政柄遂拝太尉玉清昭応宮使(王文正遺事)野謂寇準曰自古功名葢世少有全者因与詩曰好去上天辞将相帰来平地作神仙及貶始悔不用野之言(仁宗政要)野子閑亦不仕嘉祐中賜号清逸処士
書き下し
處士魏野、字は仲先。東郊に居る。草堂を架す。水竹の勝有り。琴を彈じ詩を作るを好む。清苦にして時に聞こゆること多し。上、汾隂を祀る。之を召す。疾を辭して至らず。詩を以て王文正公に贄して曰く、從前の輔相は皆な頻りに出づ。獨り中書に在ること十五秋。泰嶽・汾隂、俱に禮畢わる。這迴、好し赤松に伴いて遊べと。公、之を覽て喜び、色に形る。酒茗・藥物を以て荅と爲す。旦、詩を得て感悟し、疾を以て屢々政柄を辭す。遂に太尉・玉清昭應宫使を拜す。野、冦準に謂いて曰く、古より功名蓋世にして全きこと有るは少なしと。因りて詩を與えて曰く、好し去りて天に上りて將相を辭し、歸り來りて平地に神仙と作れと。貶せらるるに及び、始めて野の言を用いざるを悔ゆ。野の子閑も亦た仕えず。嘉祐中、清逸處士の號を賜う。
現代語訳
処士の魏野、字は仲先。東の郊外に住んだ。草の庵を建てた。水と竹の勝景があった。琴を弾き詩を作るのを好んだ。清らかで苦しい暮らしをして、当時よく知られていた。帝が汾陰を祀った。この人を召した。病と称して行かなかった。詩を王旦に贈って言った。「これまでの宰相はみなしきりに出入りした。あなただけが中書省にあること十五年。泰山と汾陰、どちらも礼が終わった。今度はひとつ、赤松子に伴って遊ばれてはいかがか」。王旦はそれを見て喜び、顔つきに表れた。酒と茶と薬を返礼とした。王旦は詩を得て悟るところがあり、病と称してたびたび政の柄を辞した。そこで太尉・玉清昭応宮使に任じられた。魏野は寇準に言った。「昔から功名が世を覆って、全うできた者は少ない」。そこで詩を贈って言った。「ひとつ、天に上って将相の位を辞し、帰ってきて平地で神仙になられよ」。流されたときになって、はじめて魏野の言葉を用いなかったことを悔いた。魏野の子の魏閑もまた官に就かなかった。嘉祐年間、「清逸処士」の号を賜った。
解説
この章句が説くこと
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