宋名臣言行録 / 前集巻六・晏殊
章懿之崩李淑䕶葬公撰志文言生女一人早卒無子仁宗恨之及親内出志文以示宰相曰先后誕育朕躬殊為臣子安得不知乃言生一公主又不育此何意也吕文靖曰殊固有罪然宫省事祕臣備位宰相是時雖略知之而不得其詳殊之不審理容有之然方章獻臨御若明言先后實生聖躬事得安否上黙然良乆命出殊守金陵明日以為逺改守南都及殊作相八大王疾革上親往問疾王曰叔乆不見官家不知今誰作相上曰晏殊王曰名在圖䜟胡為用之上歸閲視圖䜟得成敗之語并記志文事欲重黜之宋祁為學士當草白麻爭之乃降二官知穎州詞曰廣營産以殖資多役兵而規利以他罪羅織之殊免深譴祁之力也
新字:章懿之崩李淑䕶葬公撰志文言生女一人早卒無子仁宗恨之及親内出志文以示宰相曰先后誕育朕躬殊為臣子安得不知乃言生一公主又不育此何意也呂文靖曰殊固有罪然宫省事秘臣備位宰相是時雖略知之而不得其詳殊之不審理容有之然方章献臨御若明言先后実生聖躬事得安否上黙然良乆命出殊守金陵明日以為遠改守南都及殊作相八大王疾革上親往問疾王曰叔乆不見官家不知今誰作相上曰晏殊王曰名在図䜟胡為用之上帰閲視図䜟得成敗之語并記志文事欲重黜之宋祁為学士当草白麻争之乃降二官知穎州詞曰広営産以殖資多役兵而規利以他罪羅織之殊免深譴祁之力也
書き下し
章懿の崩ずるや、李淑、葬を䕶る。公、志文を撰す。言う、女一人を生む。早く卒す。子無しと。仁宗之を恨む。親に及びて内より志文を出だして以て宰相に示して曰く、先后、朕が躬を誕育す。殊、臣子と為りて、安んぞ知らざるを得んや。乃ち一公主を生むと言い、又た育たずと。此れ何の意ぞやと。吕文靖曰く、殊、固より罪有り。然れども宫省の事は祕なり。臣、位を宰相に備う。是の時、略ぼ之を知ると雖も、其の詳らかを得ず。殊の審らかならざるは、理、之れ有るを容る。然れども章獻臨御するに方たり、若し先后實に聖躬を生むと明言せば、事、安否を得んやと。上黙然たること良や乆し。命じて殊を出だして金陵を守らしむ。明日、以て逺しと為し、改めて南都を守らしむ。殊の相と作るに及び、八大王疾革まる。上親ら往きて疾を問う。王曰く、叔、乆しく官家に見えず。知らず、今、誰か相と作ると。上曰く、晏殊と。王曰く、名、圖䜟に在り。胡為れぞ之を用うるやと。上歸りて圖䜟を閲視す。成敗の語を得たり。并びに志文の事を記す。之を重く黜けんと欲す。宋祁、學士為り。當に白麻を草すべし。之を爭う。乃ち二官を降して穎州を知らしむ。詞に曰く、廣く産を營みて以て資を殖やし、多く兵を役して以て利を規ると。他罪を以て之を羅織す。殊、深譴を免る。祁の力なり。
現代語訳
章懿太后が崩じたとき、李淑が葬儀を執った。公が墓誌を書いた。「娘を一人生んだ。早くに亡くなった。子は無い」と書いた。仁宗はそれを恨んだ。親政するようになって、宮中から墓誌の文を取り出して宰相に見せて言った。「先の后は私の身を生んだ。晏殊は臣下でありながら、どうして知らずにいられようか。それなのに公主を一人生んで、その子も育たなかったと書いている。これはどういうつもりか」。呂夷簡は言った。「晏殊にはもとより罪があります。しかし宮中の事は秘されております。臣は宰相の職におりました。当時、おおよそは知っておりましたが、詳しくは分かりませんでした。晏殊が詳しく知らなかったというのは、理として有り得ることです。それに章献太后が政に臨んでいたときに、もし先の后がまことに聖上をお生みになったと明言していたら、事は無事に済んだでしょうか」。帝は長いあいだ黙っていた。命じて晏殊を出して金陵を守らせた。翌日、それは遠すぎるとして、改めて南都を守らせた。晏殊が宰相となったとき、八大王の病が重くなった。帝は自ら見舞いに行った。王は言った。「叔父は長らく主上にお目にかかっておりません。いま誰が宰相になっているか存じません」。帝は「晏殊だ」と言った。王は言った。「その名は予言書に載っております。どうしてそれを用いるのですか」。帝は帰って予言書を調べた。「成敗」の語を見つけた。あわせて墓誌の件を思い出した。重く処分しようとした。宋祁が学士であった。任命の詔を書く役であった。それを争った。そこで二階級下げて穎州の長官とした。詔の文にはこうあった。「広く産を営んで財を殖やし、多く兵を使役して利を図った」。他の罪をこじつけたのである。晏殊が重い処分を免れたのは、宋祁の力であった。
解説
この章句が説くこと
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孫子・九地篇吾が士に余財無きは、貨を悪むに非ざるなり。余命無きは、寿を悪むに非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕襟を沾し、偃臥する者は涙頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、則ち諸・劌の勇なり。
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孫子・勢篇故に善く戦う者は、之を勢に求めて人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。
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孫子・九地篇是の故に馬を方べ輪を埋むるも、未だ恃むに足らず。勇を斉しくして一の如くするは、政の道なり。剛柔皆な得るは、地の理なり。故に善く兵を用うる者は、手を攜えて一人を使うが若きは、已むを得ざらしむればなり。
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孫子・軍争篇故に夜戦には金鼓を多くし、昼戦には旌旗を多くす。人の耳目を変うる所以なり。
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『宋名臣言行録』前集巻六・吕夷簡李宸妃薨ず。章獻、宫人の禮を以て喪を外に治めんと欲す。公奏す、宜しく厚きに從うべしと。章獻遽かに帝を引きて起つ。頃くして獨り簾下に坐す。公を召して問いて曰く、一宫人死す。相公、云云するは何ぞやと。公曰く、臣、罪を宰相に待つ。事に内外無く、當に預らざる無しと。章獻怒りて曰く、相公、吾が母子を離間せんと欲するかと。公、從容として對えて曰く、陛下、劉氏を以て念と為さずんば、臣、敢えて言わず。尚お劉氏を念わば、喪禮は宜しく厚きに從うべしと。章獻悟りて遽かに曰く、宫人は李宸妃なり。且つ奈何せんと。公乃ち喪を皇儀殿に治め、一品の禮を用いて洪福寺に殯せんことを請う。公又た入内都知羅崇勲に謂いて曰く、宸妃は當に后服を以て殮すべし。水銀を用いて棺に實てよ。異時、夷簡曽て説き来たらずと道う莫かれと。章獻皆な之に從う。後、章獻上仙す。燕王、仁宗に謂いて、陛下は乃ち李宸妃の生む所なり、妃は死するに非命を以てすと言う。仁宗號慟し、頓に毁れて朝を視ざる者累日。哀痛の詔を下して自ら責め、宸妃を尊びて皇太后と為し、章懿と謚す。甫めて畢わる。章獻の殿□、洪福寺に幸して祭告し、梓宫を易う。帝、親ら哭して之を視る。后の玉色、生けるが如く、冠服は皇太后なる者の如し。水銀有るを以ての故に壊れざるなり。帝歎息して曰く、人言、其れ信ず可けんやと。劉氏を待つこと加々厚し。
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『宋名臣言行録』前集巻六・晏殊公、未だ嘗て子弟の為に恩澤を求めず。陳州に在り。上、宰相に問いて曰く、晏殊、外に居りて未だ嘗て請う所有らず。其れ亦た欲する所有るかと。宰相、以て公に告ぐ。公、自ら表して起居を問うのみ。故に薨ずるや、上尤も之を哀しむ。