宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
僕既與仕籍而所學者聖賢事業専以春秋為之主皆大中至正三綱五常之道其所為文學六經而為必本於道徳性命而一歸於仁義其施於君者則又忠厚愛人兼善天下之道自顧不合於時而學之又不能方惶惶然無所容其迹而故人張諌議正國辟僕為髙陽帥幙今邵堯夫亦有書招我為洛中遊兼有詩云年光空去也人事轉蕭然止俟貧老之兄生事粗足幼而孤者有分有歸亦西歸洛中守先人墳墓徜徉于有洛之表吾願畢矣
新字:僕既与仕籍而所学者聖賢事業専以春秋為之主皆大中至正三綱五常之道其所為文学六経而為必本於道徳性命而一帰於仁義其施於君者則又忠厚愛人兼善天下之道自顧不合於時而学之又不能方惶惶然無所容其迹而故人張諌議正国辟僕為高陽帥幙今邵堯夫亦有書招我為洛中遊兼有詩云年光空去也人事転蕭然止俟貧老之兄生事粗足幼而孤者有分有帰亦西帰洛中守先人墳墓徜徉于有洛之表吾願畢矣
書き下し
僕既に仕籍に與る。而して學ぶ所の者は聖賢の事業、專ら春秋を以て之が主と爲す。皆大中至正、三綱五常の道なり。其の爲す所の文は六經に學びて、必ず道德性命に本づき、一に仁義に歸す。其の君に施す所の者は則ち又た忠厚愛人、天下を兼善するの道なり。自ら顧みるに時に合わず。而して之を學ぶも又た方たる能わず。惶惶然として其の迹を容るる所無し。而して故人張諫議正國、僕を辟して髙陽の帥幕と爲さんとす。今邵堯夫も亦た書有りて我を招きて洛中に遊ばしむ。兼ねて詩有りて云う、年光は空しく去るなり、人事は轉た蕭然たりと。止だ貧老の兄の生事の粗ミ足るを俟つ。幼くして孤なる者は分有り歸有り。亦た西のかた洛中に歸り、先人の墳墓を守り、有洛の表に徜徉せん。吾が願い畢わらん。
現代語訳
私はすでに官吏の名簿に連なっている。それでいて学んできたものは聖賢の事業であり、もっぱら春秋をその中心としてきた。どれも大いに中正、三綱五常の道である。作る文章は六経に学び、必ず道徳と性命に基づき、一つに仁義へ帰する。君に施すところも、忠実で厚く人を愛し、天下をあわせて善くする道である。自ら顧みるに、いまの時代に合っていない。かといって、いま風のものを学ぼうとしても、その型になれない。おろおろとして、身を置くところがない。そこへ旧友の諫議大夫の張正国が、私を招いて高陽の帥の幕僚にしようとしている。いま邵雍もまた手紙をよこして、私を洛中に遊ぶよう招いている。あわせて詩があって言う。「年月は空しく過ぎていく、人の営みはいよいよ寂しい」。ただ、貧しく老いた兄の暮らしがひととおり足りるのを待つばかりだ。幼くして父を失った者には、それぞれ分もあり行き先もある。私もまた西へ洛中に帰り、先祖の墓を守り、洛水のほとりをそぞろ歩こう。それで私の願いは終わる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著未だ幾ならずして公青苗等の事を言うを以て罪を得て去る。王安石政を專らにし、乃ち盡く詩賦を罷めて一に經義を用う。獨り春秋のみ以て破缺にして讀む可からずと爲し、其の學を廢す。學者以て試に應ずるを得ず。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公平生氣を養い得て完し。他の官職を做すを好まざるが爲なり。宰相と作りて只だ魚羹飯を喫らう。受用するを得る底も受用せず。省便に縁りて去就自在なり。嘗て殿に上り一劄子を進めて人を除するを擬す。神宗允さず。對えて曰く、阿、除し得ずと。又た一劄子を進めて人を除するを擬す。神宗も亦た允さず。又た曰く、阿、也た除し得ずと。殿を下り出で來りて便ち去るを乞う。更に留むるも住まらず。平生屈せざるも亦た奇特なり。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石元豐七年の春、公疾有り。兩日言わず。少しく蘇りて吳國夫人に語りて曰く、夫婦の情は偶合のみ。他念を須いず。強いて善を爲すのみと。葉濤の手を執りて曰く、君は聰明なり。宜しく博く佛書を讀むべし。愼んで徒らに勞して世間の言語を作す勿かれ。安石は生まれ來りて多く枉げて力を費やし、閑文字を作る。深く自ら悔責すと。吳國勉めて曰く、公未だ宜しく此の言を出すべからずと。曰く、生死は無常なり。吾は時至りて言を發する能わざるを恐る。故に今此を叙ぶ。時至らば則ち行く。何ぞ君の勸むるを用いんと。公の疾瘳えて乃ち自ら悔いて曰く、天下の理を識り盡くすと雖も定力は尚お淺し。或いは未だ死せずんば、應に尚お力を竭くして修爲すべしと。陳子之を聞きて疑いて曰く、豈に無常を現行し疾を現身する者ならんや。疑う可からざるなりと。
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『宋名臣言行録』後集巻十・韓維初め公と王安石と雅ミ相い厚善なり。安石執政するに及び、公國事を議して始めて異同多し。是に至りて議者三經の義を廢せんと欲す。公以爲えらく、安石の經義は宜しく先儒の説と並び行わるべし。當に廢すべからずと。司馬光と公と平生の交わり。俱に耆舊を以て進用せらる。事に臨むに至りては未だ嘗て一語も附合せず。務めて茍同を爲さず。人其の平らかなるに服す。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石始め小官と爲り、仕進に急急とせず。皇祐中、文潞公相と爲り、公及び張□・曾公定・韓維の四人の恬退なるを薦め、朝廷の不次に進用して以て澆競の風を激せんことを乞う。旨有りて皆其の名を籍記す。至和中、館職に召試せらる。固辭す。乃ち羣牧判官を除せらる。又た辭するも許されず。乃ち職に就く。懇ろに外補を求めて常州を得たり。是に由りて名は天下に重く、士大夫は其の面を識らざるを恨む。朝廷嘗て授くるに美官を以てせんと欲し、惟だ其の肯えて就かざるを恐る。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕希哲公王安石に從いて學ぶ。安石以爲えらく、凡そ士の未だ官せずして科舉を事とする者は貧しきが爲なり。官有りて復た科舉を事とするは、是れ富貴利達を僥倖するのみ。學者は由らざるなりと。公之を聞き、遽かに科舉を棄て一意に古學す。