宋名臣言行録 / 前集巻六・晏殊
公父本撫州手力節級公幼能文楊大年以聞時年十二真宗面試詩賦疑其宿搆明日再試文采愈美上大竒之即除祕書省正字令於龍圖閣讀書
新字:公父本撫州手力節級公幼能文楊大年以聞時年十二真宗面試詩賦疑其宿搆明日再試文采愈美上大奇之即除秘書省正字令於竜図閣読書
書き下し
公の父は本と撫州の手力節級なり。公、幼くして能く文す。楊大年、以て聞す。時に年十二。真宗、面のあたり詩賦を試む。其の宿搆なるかを疑う。明日、再び試むるに、文采愈々美なり。上大いに之を竒とす。即ち祕書省正字に除し、龍圖閣に於て書を讀ましむ。
現代語訳
公の父は、もともと撫州の下級の役夫の頭であった。公は幼くして文章が上手であった。楊億がそれを奏上した。当時、年は十二であった。真宗は面前で詩と賦を試した。あらかじめ用意してきたのではないかと疑った。翌日、もう一度試すと、文章の彩りはいよいよ美しかった。帝はひどく感嘆した。すぐに秘書省正字に任じ、龍図閣で書を読ませた。
解説
十二歳の神童を、一度で信じなかった条です。**あらかじめ用意してきたのではないかと疑った。**それで翌日もう一度試している。二度目のほうが良かった、という結果でここは片づきます。次の条では、この人が自分から「その題は十日前に作ったことがあります」と申し出ることになる。疑われた側が、後年、疑われる前に自分で言うようになった、という並びです。
この章句が説くこと
其の宿搆なるかを疑う明日再び試むるに文采愈々美なり上大いに之を奇とす即ち秘書省正字に除す選考疑い再試
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻六・晏殊公、童子たる時、張文節、之を朝に薦む。召して闕下に至る。適ま御試進士に値う。便ち公をして試に就かしむ。公一たび試題を見て曰く、臣、十日前已に此の賦を作れり。賦草尚お在り。乞う、别に題を命ぜよと。上、極めて其の隠さざるを愛す。館職と為るに及び、時に天下事無し。臣僚の勝を擇びて燕飲するを許す。當時の侍從・文館の士大夫、各々宴集を為す。以て市樓・酒肆に至るまで往往にして皆な供帳し、遊息の地と為す。公、時に貧なること甚だし。出づる能わず。獨り家居して兄弟と講習す。一日、東宫の官を選ぶ。忽ち中より批して晏殊を除して執政とす。因る所を諭る莫し。次日、進覆す。上諭して曰く、近ごろ聞く、館閣の臣寮、嬉遊宴賞して日に彌り夕に繼がざるは無し。惟だ殊のみ門を杜ざして兄弟と書を讀む。此くの如く謹厚なれば、正に東宫の官と為す可しと。公既に命を受けて對を得たり。上、面のあたり除授の意を諭す。公、語言質野なり。對えて曰く、臣、宴遊を樂しまざるに非ず。直だ貧にして為す可きの具無きを以てなり。臣、若し錢有らば、亦た須らく往くべし。但だ錢無くして出づる能わざるのみと。上、益々其の誠實にして君に事うるの體を知るを嘉す。眷注日に深し。仁宗の時、卒に大用に至る。
-
『宋名臣言行録』前集巻四・楊億公、年十一。太宗、親ら一賦二詩を試む。頃刻にして成る。上喜びて中書に送りて再び試みしむ。執政、喜朝京闕の詩を賦せしむ。亦た立ちどころに就る。且つ願わくは清忠の節を秉り、終身聖朝に立たんの句有り。宰相、表して賀す。
-
『宋名臣言行録』前集巻六・晏殊章懿の崩ずるや、李淑、葬を䕶る。公、志文を撰す。言う、女一人を生む。早く卒す。子無しと。仁宗之を恨む。親に及びて内より志文を出だして以て宰相に示して曰く、先后、朕が躬を誕育す。殊、臣子と為りて、安んぞ知らざるを得んや。乃ち一公主を生むと言い、又た育たずと。此れ何の意ぞやと。吕文靖曰く、殊、固より罪有り。然れども宫省の事は祕なり。臣、位を宰相に備う。是の時、略ぼ之を知ると雖も、其の詳らかを得ず。殊の審らかならざるは、理、之れ有るを容る。然れども章獻臨御するに方たり、若し先后實に聖躬を生むと明言せば、事、安否を得んやと。上黙然たること良や乆し。命じて殊を出だして金陵を守らしむ。明日、以て逺しと為し、改めて南都を守らしむ。殊の相と作るに及び、八大王疾革まる。上親ら往きて疾を問う。王曰く、叔、乆しく官家に見えず。知らず、今、誰か相と作ると。上曰く、晏殊と。王曰く、名、圖䜟に在り。胡為れぞ之を用うるやと。上歸りて圖䜟を閲視す。成敗の語を得たり。并びに志文の事を記す。之を重く黜けんと欲す。宋祁、學士為り。當に白麻を草すべし。之を爭う。乃ち二官を降して穎州を知らしむ。詞に曰く、廣く産を營みて以て資を殖やし、多く兵を役して以て利を規ると。他罪を以て之を羅織す。殊、深譴を免る。祁の力なり。
-
『宋名臣言行録』前集巻六・晏殊公、未だ嘗て子弟の為に恩澤を求めず。陳州に在り。上、宰相に問いて曰く、晏殊、外に居りて未だ嘗て請う所有らず。其れ亦た欲する所有るかと。宰相、以て公に告ぐ。公、自ら表して起居を問うのみ。故に薨ずるや、上尤も之を哀しむ。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹晏殊、南京を判す。公、大理寺丞を以て憂に丁り、權に西監を掌る。一日、晏曰く、吾に女の笄に及ぶ有り。君に仗りて我が為に婿を擇べと。公曰く、監中に二舉子有り。富皋・張為善なり。皆な文行有り。他日、皆な卿輔に至らん。並びに婿とす可きなりと。晏曰く、然らば則ち孰れか優れると。范曰く、富は修謹、張は疎俊なりと。晏曰く、唯と。即ち富を取りて壻と為す。後に名を改め、即ち弼なり。為善も後に亦た名を更めて方平と云う。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹晏殊、南京に留守す。公、母の憂いに遭う。晏公、府學を掌らんことを請う。公、常に學中に宿し、學者を訓督す。夜、諸生に讀書を課す。寢食、皆な時刻を立つ。往往にして潛かに齋舍に至りて之を詗う。先ず寢ぬる者を見れば之を詰る。其の人、紿きて云う、適ま疲倦し、暫く枕に就くのみと。未だ寢ねざる時、何の書を觀しかを問う。其の人、亦た妄りに對う。則ち書を取りて之に問う。其の人對うる能わず。乃ち之を罰す。題を出だして諸生をして賦を作らしむるに、必ず先ず自ら之を為る。其の難易及び當に意を用うべき所を知らんと欲すればなり。亦た學者をして准じて以て法と為さしむ。是に由りて後、學者輻湊す。