宋名臣言行録 / 前集巻八・狄青
青之受命有因貴近求從青行者青延見謂之曰君欲從青行此青之所求也何必因人之言乎然智髙小冦至遣青行可以知事急矣從青之士能擊賊有功朝廷有厚賞青不敢不爲之請也若徃而不能擊賊則軍中法重青不敢私也君其思之願行則即奏取君矣非獨君也君之親戚交遊之士幸皆以此言告之茍欲行者皆青之所求也於是聞者大駭無復敢言求從青行者其所辟取皆青之素所知以爲可用者人望固巳歸矣
新字:青之受命有因貴近求従青行者青延見謂之曰君欲従青行此青之所求也何必因人之言乎然智高小寇至遣青行可以知事急矣従青之士能擊賊有功朝廷有厚賞青不敢不為之請也若往而不能擊賊則軍中法重青不敢私也君其思之願行則即奏取君矣非独君也君之親戚交遊之士幸皆以此言告之茍欲行者皆青之所求也於是聞者大駭無復敢言求従青行者其所辟取皆青之素所知以為可用者人望固巳帰矣
書き下し
青の命を受くるや、貴近に因りて青に從いて行かんことを求むる者有り。青、延見して之に謂いて曰く、君、青に從いて行かんと欲す。此れ青の求むる所なり。何ぞ必ずしも人の言に因らんや。然れども智髙は小冦なり。青を遣わして行かしむるに至る。以て事の急なるを知る可し。青に從うの士、能く賊を擊ちて功有らば、朝廷に厚賞有り。青、敢えて之が爲に請わずんばあらず。若し徃きて賊を擊つ能わずんば、則ち軍中の法重し。青、敢えて私せざるなり。君、其れ之を思え。行くを願わば則ち即ち奏して君を取らん。獨り君のみに非ず。君の親戚・交遊の士、幸わくは皆な此の言を以て之に告げよ。茍しくも行かんと欲する者は、皆な青の求むる所なりと。是に於て聞く者大いに駭き、復た敢えて言いて青に從いて行かんことを求むる者無し。其の辟取する所は、皆な青の素より知る所にして、以て用う可しと爲す者なり。人望固より巳に歸せり。
現代語訳
狄青が命を受けたとき、有力者の縁故によって狄青に従って行きたいと求める者があった。狄青は会って言った。「君は私に従って行きたいという。それは私が求めていることだ。どうして人の口添えを借りる必要があろう。しかし儂智高は小さな賊だ。それでも私を遣わして行かせるに至った。事が急であることが分かる。私に従う士が賊を撃って功があれば、朝廷から厚い賞がある。私は必ずそれを願い出る。もし行って賊を撃てなければ、軍中の法は重い。私は私情を差し挟まない。君はそれをよく考えなさい。行きたいと願うなら、すぐに奏上して君を取ろう。君だけではない。君の親戚や交わりのある士にも、どうかみなこの言葉を伝えてほしい。かりにも行きたいという者は、みな私が求めているところだ」。そこで聞いた者はひどく驚き、二度と口をきいて狄青に従って行きたいと求める者がなかった。招き取ったのは、みな狄青がもとから知っていて、用いることができると考えていた者であった。人望はもとよりすでに集まっていた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・火攻篇時とは天の燥けるなり。日とは月の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四宿は、風の起こるの日なり。
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