長短経 / 縦横家
長短経(縦横家)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全1192句。
唐の玄宗の開元年間、蜀(いまの四川)に隠れ住んだ趙蕤が、古今の治乱と権謀を集めて論じた書です。朝廷の召しに応じなかった在野の人で、若き日の李白が師事したとも伝えられます。書名の「長短」は、どんな制度にも人物にも策にも長所と短所があり、時と場合によって正しさが入れ替わる、という全篇を貫く見方から来ています。別名を『反経』ともいいます。全体は九つの部に分かれます。文上・文中・文下では、人材の見分け方と用い方、君主と臣下の徳、治乱の分かれ目を論じます。霸紀の三部は、周から隋に至る王朝の興亡と、戦国七雄の合従連衡、蜀・呉・魏の三国の攻防を、策士の献策と君主の決断の記録として通して読ませます。権議と雑説では、同じ策が時によって成功も失敗もする理由、忠が疑われ詐りが忠となる場合、運命と人の努力の関係を問い、最後の兵権では、孫子を軸に出陣・地形・間諜・将の資質・勝ったあとの処し方までを扱います。魅力は、きれいな教訓で終わらないところにあります。韓信は恩に報いて滅び、蒯通は裏切りを勧めて許され、荀彧は筋を通して死に、楊堅は謙遜を口にして天下を取る。趙蕤は一つの事例に賛否の両論を並べ、読者に判断を返します。四庫提要が「其の源は蓋し縦横家より出づ」と評したのはこのためで、学派は「縦横家」に置いています。権謀や冷酷な計略も削らずに収めました。仕掛けるためだけでなく、仕掛けられたときに気づくためにも要る知識だからです。底本は、字を四庫全書本、句読点と段の切れ目を維基文庫の標點本から取って組み合わせたものです。標點本は篇によって大きく欠け(適変篇は四千三百字余りのうち五百字しか残っていない)、ページの題と中身が食い違う所もあるため、四庫全書本の各篇と中身で照らし合わせてページを選び直しました。両者の揃いは〇・九七三です。四庫全書本の欠字のうち標點本が示す字で埋められなかったものは□で示しています。師導では全六十四篇千二百八段を千百九十二の章句に収め、本文十八万二千字余りの百パーセントを覆いました。