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長短経 / 論士

《書》曰、“能自得師者王。”何以明之?齊宣王見顔觸曰、“觸前。”觸亦曰、“王前。”議曰、夫觸前為慕勢、王前為趨士、與使觸為慕勢、不若使王為趨士。宣王作色曰、“王者貴乎?士者貴乎?”對曰、“昔秦攻齊、令曰、『有敢去柳下季隴五百歩而樵採者、罪死不赦。』令曰、『有能得齊王頭者、封萬户侯、賜金千鎰。』由是言之、生王之頭、曾不如死士之隴宣王竟師之。

新字:《書》曰、“能自得師者王。”何以明之?斉宣王見顔触曰、“触前。”触亦曰、“王前。”議曰、夫触前為慕勢、王前為趨士、与使触為慕勢、不若使王為趨士。宣王作色曰、“王者貴乎?士者貴乎?”対曰、“昔秦攻斉、令曰、『有敢去柳下季隴五百歩而樵採者、罪死不赦。』令曰、『有能得斉王頭者、封万戸侯、賜金千鎰。』由是言之、生王之頭、曽不如死士之隴宣王竟師之。

書き下し

書に曰く「能く自ら師を得る者は王たり」と。何を以て之を明らかにせん。斉の宣王、顔触を見て曰く「触、前め」と。触も亦た曰く「王、前め」と。議に曰く、夫れ触の前むは勢いを慕うと為し、王の前むは士に趨ると為す。触をして勢いを慕わしむるよりは、王をして士に趨らしむるに若かず。宣王、色を作して曰く「王者は貴きか、士者は貴きか」と。対えて曰く「昔、秦、斉を攻む。令して曰く『敢えて柳下季の隴を去ること五百歩にして樵採する者有らば、罪は死にして赦さず』と。令して曰く『能く斉王の頭を得る者有らば、万戸侯に封じ、金千鎰を賜う』と。是に由りて之を言えば、生ける王の頭は、曾ち死せる士の隴に如かず」と。宣王竟に之を師とす。

現代語訳

書経にこうある。「自分から師を得られる者は王となる」。なぜそう言えるのか。斉の宣王が顔触に会って言った。「触よ、前へ出よ」。顔触もまた言った。「王よ、前へ出よ」。議していう。顔触が前へ出るのは権勢を慕うことであり、王が前へ出るのは士に歩み寄ることである。顔触に権勢を慕わせるくらいなら、王に士へ歩み寄らせるほうがよい。宣王は色をなして言った。「王が貴いのか、士が貴いのか」。顔触は答えた。「昔、秦が斉を攻めました。命令を出して言いました。『あえて柳下季の墓から五百歩以内で薪を取る者があれば、死罪で赦さない』。また命令を出して言いました。『斉王の首を取る者があれば、万戸侯に封じ、金千鎰を与える』。ここから言えば、生きている王の首は、死んだ士の墓にも及びません」。宣王はついに顔触を師とした。

解説

敵国の軍令二つを並べるだけで、王と士の値打ちを比べてみせた話です。賢者の墓は五百歩手前から立ち入り禁止、王の首には懸賞金。敵が何を惜しみ何を欲しがるかで、価値は決まります。自分の値打ちを自分で主張するのではなく、第三者が何をどう扱っているかを示す。反論しにくい論法です。そして宣王は怒らずに顔触を師としました。この結末があるから、この話が残っています。

この章句が説くこと

価値顔触斉宣王

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