長短経 / 是非
《語》曰、“忠無不報。”〔非曰〕《左傳》曰、“亂代則讒勝直。”〔是曰〕
新字:《語》曰、“忠無不報。”〔非曰〕《左伝》曰、“乱代則讒勝直。”〔是曰〕
書き下し
語に曰く「忠は報いられざる無し」と。〔非に曰く〕左伝に曰く「乱代は則ち讒、直に勝つ」と。
現代語訳
ある書物にこうある。「忠義には必ず報いがある」。〔非の側。〕春秋左氏伝にこうある。「乱れた時代には、讒言がまっすぐな言葉に勝つ」。
解説
短い一対ですが、身にこたえます。忠義は必ず報われる、と言った直後に、乱世では讒言が正論に勝つ、と置く。平時の原則が乱時には通らない、という指摘です。忠義が報われるのは、報いる仕組みが働いているときだけ。仕組みが壊れた場所では、正しく働くほど陥れられます。忠であることをやめる必要はありませんが、いまがどちらの時代かは測っておく必要があります。
この章句が説くこと
是非忠報い左伝讒言乱世
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