長短経 / 察相
天王使單子㑹韓宣子于戚、視下言徐。叔向曰、「單子其將死乎?朝有著、定㑹有表、衣有襘帶有結。㑹朝之言、必聞於表著之位、所以昭事序也。視不過結、襘之中、所以導容貎也。言以定之、容貌以明之、失則有闕。今單子為王官伯而命事於㑹、視不登帶言不過歩、貎不導容、而言不昭矣。不導不恭、不昭不從、無守氣矣。」此冬、單子卒。宋平公享昭子、晏飲樂、語相泣也。樂祁佐、退而告人曰、「今兹君與叔孫其將死乎?吾聞之、哀樂而樂哀、皆喪心也。心之精爽、是謂魂魄。魂魄去之、何以能久?」此年、叔孫、宋公皆卒。
新字:天王使単子会韓宣子于戚、視下言徐。叔向曰、「単子其将死乎?朝有著、定会有表、衣有襘帯有結。会朝之言、必聞於表著之位、所以昭事序也。視不過結、襘之中、所以導容貎也。言以定之、容貌以明之、失則有闕。今単子為王官伯而命事於会、視不登帯言不過歩、貎不導容、而言不昭矣。不導不恭、不昭不従、無守気矣。」此冬、単子卒。宋平公享昭子、晏飲楽、語相泣也。楽祁佐、退而告人曰、「今茲君与叔孫其将死乎?吾聞之、哀楽而楽哀、皆喪心也。心之精爽、是謂魂魄。魂魄去之、何以能久?」此年、叔孫、宋公皆卒。
書き下し
天王、単子をして韓宣子に戚に会せしむ。視は下り言は徐かなり。叔向曰く「単子は其れ将に死せんとするか。朝に著有り、定会に表有り、衣に襘有り、帯に結有り。会朝の言は、必ず表著の位に聞こゆ、事の序を昭らかにする所以なり。視は結・襘の中を過ぎず、容貌を導く所以なり。言は以て之を定め、容貌は以て之を明らかにす。失すれば則ち闕有り。今、単子は王官の伯と為りて事を会に命ず。視は帯に登らず、言は歩を過ぎず、貌は容を導かず、而して言は昭らかならず。導かざるは恭ならず、昭らかならざるは従わず、守気無し」と。此の冬、単子卒す。宋の平公、昭子を享す。晏飲楽しみ、語りて相泣く。楽祁佐たり。退きて人に告げて曰く「今茲、君と叔孫と其れ将に死せんとするか。吾れ之を聞く、哀しみに楽しみ楽しみに哀しむは、皆な心を喪うなり。心の精爽、是れを魂魄と謂う。魂魄之を去らば、何を以て能く久しからん」と。此の年、叔孫・宋公皆な卒す。
現代語訳
天子が単子を派遣して韓宣子と戚で会見させた。単子は視線が下を向き、言葉はゆっくりだった。叔向は言った。「単子は死ぬのではないか。朝廷には立ち位置の目印があり、正式な会合には標識があり、衣には襟の合わせがあり、帯には結び目がある。会合や朝廷での発言は、必ず標識の位置まで聞こえなければならない。事の順序を明らかにするためである。視線は帯の結び目と襟の合わせの間を越えない。容貌を導くためである。言葉によって事を定め、容貌によってそれを明らかにする。これを失えば欠けが生じる。いま単子は天子の官の長として会合で事を命じているのに、視線は帯まで上がらず、言葉は自分の足もとまでしか届かず、容貌は姿を導かず、言葉も明らかでない。導かないのは恭しくないことであり、明らかでないのは人が従わないことである。守るべき気がない」。この冬、単子は死んだ。宋の平公が昭子をもてなした。宴は楽しく、語り合って互いに泣いた。楽祁が補佐していた。退出して人に告げた。「今年、君と叔孫はともに死ぬのではないか。私はこう聞いている。哀しむべき場で楽しみ、楽しむべき場で哀しむのは、どちらも心を失っている。心の精気、これを魂魄という。魂魄が去れば、どうして長くもとう」。この年、叔孫と宋公はともに死んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』察相又た曰く「晋の韓宣子、斉に如き、子雅に見ゆ。子雅、其の子子旗を召して、宣子に見えしむ。宣子曰く『家を保つの主に非ざるなり、臣たらず』」と。杜預曰く「子雅の志器の亢ぶるを言うなり」と。後十年、来奔す。周の霊王の弟儋季卒す。其の子括、将に王に見えんとして歎ず。単公子愆期、其の歎を聞くや、入りて以て王に告げて曰く「戚しまずして大を願い、視は躁がしくして足は高し。心は他に在り。殺さずんば必ず害を為さん」と。王曰く「童子何をか知らん」と。霊王崩ずるに及び、儋括は王子佞夫を立てんと欲す。周の大夫、佞夫を殺す」と。
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『長短経』察相成敗は決断に在り。此を以て之を参すれば、万に一を失わず。経に曰く「貴賤を言う者は骨骼に存し、脩短を言う者は虚実に存す」と。〔経に曰く「夫れ人の喘息なる者は、命の存する所なり。喘息条条として、状は長くして緩なる者は、長命の人なり。喘息急促にして、出入等しからざる者は、短命の人なり」と。又た曰く「骨肉堅硬なれば、寿にして楽しまず。体肉耎なる者は、楽しみて寿ならず」と。左伝に曰く、魯、襄仲をして斉に如かしむ。復命して曰く「臣聞く、斉人将に魯の麦を食わんとすと。臣の之を観るに、将に能わざらん。斉君の語は偸し。臧文仲に言える有り、人主偸なれば必ず死すと」。後に果たして然り。
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『長短経』察相邾の隠公来朝す。玉を執ること高く、其の容は仰ぐ。魯公、玉を受くること卑しく、其の容は俯す。子貢曰く「礼を以て之を観れば、二君は皆な死亡有らん。高く仰ぐは驕なり、卑しく俯すは替なり。驕は乱に近く、替は疾に近し。君は主たり、其れ先ず亡びんか」と。此の年、公薨ず。哀公七年、邾子益を以て帰る。衛侯、呉に鄖に会す。呉人、衛侯の舎を藩す。子貢、太宰嚭に説きて之を免る。衛侯帰りて、夷言を効う。子の之、尚お幼くして曰く「君は必ず免れじ。其れ夷に死せんか。執えられて又た其の言を説ぶ、之に従うこと固し」と。後に卒に楚に死す。
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『長短経』察相鄭伯、晋に如きて成を拝し、玉を東楹の東に授く。晋の大夫貞伯曰く「鄭伯は其れ死せんか。自ら棄つるのみ。視は流れて行は速く、其の位に安んぜず。宜なり、久しきこと能わざること」と。杜預曰く、鄭伯の端諦ならざるを言うなりと。六月に卒す。天王、劉康公・成肅公をして晋侯に会して秦を伐たしむ。成子、脤を社に受けて敬せず。劉子曰く「吾れ之を聞く、人は天地の中を受けて以て生まる、命と為す所なり。是を以て動作・礼義・威儀の則有りて、以て命を定む。能なる者は之を養いて以て福とし、能わざる者は敗りて以て禍を取る。是の故に、君子は礼に勤め、小人は力を尽くす。礼に勤むるは敬を致すに如くは莫く、力を尽くすは敦篤に如くは莫し。敬は神を養うに在り、篤は業を守るに在り。国の大事は祀と戎とに在り。祀に執膰有り、戎に受脤有り、神の大節なり。今、成子は惰りて其の命を棄つ。其れ反らざらんか」と。五月、瑕に卒す。
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『長短経』察相斉の崔杼、師を帥いて我を伐つ。公之を患う。孟公綽曰く「崔子将に大志有らんとす。我を病ましむるに在らず。必ず速やかに帰らん。何をか患えんや。其の来るや冦せず、人を使うこと厳ならず、他日に異なる」と。斉の師、徒らに帰る。果たして荘公を弑す。晋・楚、諸侯を会して盟う。楚の公子囲、服を設けて衛を離る。魯の大夫叔孫穆子曰く「楚の公子は美なり、君なる哉」と。杜預曰く、君の服を設けたるなりと。此の年、子囲は位を簒う。衛の孫文子来聘す。君登れば亦た登る。叔孫穆子趨り進みて曰く「諸侯の会、寡君は未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子は寡君に後れず。未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子は辞する無く、亦た悛むる容無し。穆叔曰く「孫子は必ず亡びん。臣と為りて君たり、過ちて悛めざるは、亡びの本なり」と。後十四年、林父は君を逐う。
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『長短経』察相魯公、楚宮を作る。穆叔曰く「泰誓に云う『人の欲する所は、天必ず之に従う』と。君は楚を欲するなり。故に其の宮を作る。復た楚に適かずんば、必ず是の宮に死せん」と。六月辛巳、公、楚宮に薨ず。晋侯、卻犨をして孫林父を衛に送らしむ。衛侯、之を饗す。苦成叔、敖る。衛の大夫□曰く「苦成の家は其れ亡びんか。古の饗食は、以て威儀を観、禍福を省みる。故に詩に云う『兕觥其れ觩たり、旨酒思れ柔なり。彼れ交わりて敖らず、万福来たり求む』と。今、夫子は敖る。禍を取るの道なり」と。十七年、卻氏亡ぶ。斉侯と衛侯、商任に会す、敬せず。叔向曰く「二君は必ず免れじ。会朝は礼の経なり。礼は政の輿なり。政は身の守りなり。礼を怠れば政を失い、立たず、是を以て乱るるなり」と。二十五年、斉は光を弑す。二十六年、衛は剽を弑す。〕