長短経 / 七雄略
且楚攻齊之南陽、魏攻平陸、而齊無南靣之心、以為亡南陽之害小、不如得濟北之利大、故定計而堅守之。今秦人下兵、魏不敢東面、横秦之勢成則楚國之形危。且齊棄南陽、斷右壤、存濟北、計猶且為之也。今楚、魏交退於齊、而燕救不至、以全齊之兵、無天下之規、與聊城共據。期年之弊、即臣見公之不能得也。齊之必决於聊、公無再計。
新字:且楚攻斉之南陽、魏攻平陸、而斉無南面之心、以為亡南陽之害小、不如得済北之利大、故定計而堅守之。今秦人下兵、魏不敢東面、横秦之勢成則楚国之形危。且斉棄南陽、断右壤、存済北、計猶且為之也。今楚、魏交退於斉、而燕救不至、以全斉之兵、無天下之規、与聊城共拠。期年之弊、即臣見公之不能得也。斉之必決於聊、公無再計。
書き下し
且つ楚、斉の南陽を攻め、魏、平陸を攻む。而して斉に南面の心無し。以為えらく南陽を亡うの害は小なり、済北を得るの利の大なるに如かずと。故に計を定めて之を堅守す。今、秦人、兵を下し、魏、敢えて東面せず。横秦の勢い成れば則ち楚国の形危うし。且つ斉、南陽を棄て、右壌を断ち、済北を存するは、計、猶お且に之を為さんとするなり。今、楚・魏、交々斉より退きて、燕の救い至らず。全斉の兵を以てし、天下の規無く、聊城と共に拠る。期年の弊、即ち臣は公の得る能わざるを見る。斉の必ず聊に決するは、公、再び計る無かれ。
現代語訳
しかも楚は斉の南陽を攻め、魏は平陸を攻めた。それでも斉に南を向く気はない。南陽を失う害は小さく、済北を得る利の大きさには及ばないと考えたからである。だから方針を定めて固く守った。いま秦が兵を下し、魏は東を向く勇気がない。連衡の勢いが成れば楚の形勢は危うい。斉が南陽を棄て、右の土地を断ち、済北を保つことに決めたのは、いまもその方針である。いま楚と魏がともに斉から退き、燕の救援は来ない。斉は全軍を挙げ、天下に邪魔立てする者もなく、聊城と向き合っている。一年の疲弊を見れば、あなたが勝てないことは私には見えている。斉が必ず聊城で決着をつけることについて、二度考える余地はない。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』七雄略〈燕、斉を攻め、七十余城を取る。唯だ莒・即墨のみ下らず。斉の田単、即墨を以て燕を破り、騎刧を殺す。燕将、誅を懼れて聊城を保ち、敢えて帰らず。田単、之を攻むること歳余なるも、聊城下らず。魯連、乃ち書を為り、之を矢に約し、以て城中に射る。燕将に書を遺りて曰く「吾、之を聞く『智者は時に倍きて利を棄てず。勇士は死を怯れて名を滅せず。忠臣は身を先にして君を後にせず』と。今、君、一朝の忿を行いて、燕王の臣無きを顧みず。忠に非ざるなり。身を殺し聊城を亡いて、威、斉に信びず。勇に非ざるなり。功廃れ名滅び、後世に称する無し。智に非ざるなり。故に智者は再び計らず、勇者は再び却かず。今、死生・栄辱・尊卑・貴賤、此れ其の時なり。願わくは公、詳らかに計りて、俗と同じくする無かれ。
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『長短経』七雄略彼の燕王は大いに乱れ、上下迷惑す。栗腹、百万の衆を以て、五たび外に折る。万乗の国、趙に囲まる。壌削られ主困しみ、天下の笑いと為る。国弊れ禍多く、人、帰する所無し。今、又た弊聊の人を以て、全斉の兵を距ぐ。期年解けざるは、是れ墨翟の守なり。人を食らい骨を炊ぎ、外に反るの心無きは、是れ孫臏・呉起の兵なり。能く天下に見るるなり。故に公の為に計る者は、兵を罷め士を休め、軍を全くして帰りて燕王に報ずるに如かず。燕王、必ず喜ばん。士民、公を見ること父母を見るが如く、臂を攘げて世に議せん。功業、明らかにす可きなり。意う者、燕に懟みて世を棄て、東のかた斉に遊ばんか。請う、地を裂きて封を定め、富は陶・衛に比し、世世孤と称せん。此れ亦た一計なり。二者は、名を顕し実を厚くす。願わくは公、之を察し、熟ら計りて審らかに一を処せよ。
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『長短経』七雄略諸侯、地の弱く食の寡なきを料らずして、縦人の甘言好辞を聴く。比周して以て相い飾り、其の主を誑誤す。此に過ぐるは無し。大王、秦に事えずんば、秦、甲を下して宜陽に拠り、韓の地を断たん。東のかた成皋・滎陽を取らば、則ち鴻台の宮、桑林の苑は、王の有に非ざるなり。夫れ成皋を塞ぎ、上地を絶たば、則ち王の国は分かれん。故に大王の為に計るに、秦の為にするに如くは莫し。秦の欲する所、弱むるは楚に如くは莫し。而して能く楚を弱むる者は韓に如くは莫し。韓の能く楚より強きを以てするに非ず。其の勢い然るなり。今、西面して秦に事え、以て楚を攻めば、秦王必ず喜ばん。夫れ楚を攻めて其の地を私し、禍を転じて秦を悦ばす。計、此より便なるは無し」と。宣王、之を聴く。
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『長短経』七雄略夫れ秦、軹道を下らば、則ち南陽危うし。韓を刧かし周を包まば、則ち趙は自ら兵を操らん。衛に拠りて淇・巻を取らば、則ち斉は必ず入りて秦に朝せん。秦、已に山東を得んと欲せば、則ち必ず兵を挙げて趙に嚮かわん。秦甲、河を渡り漳を踰え、番吾に拠らば、則ち兵は必ず邯鄲の下に戦わん。此れ臣の君の為に危ぶむ所なり。当今の時、山東の建国、趙より強きは莫し。趙の地は方二千余里、帯甲数十万、車千乗、騎万匹、粟は数年を支う。西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕有り。燕は固より弱国なり。畏るるに足らざるなり。秦の天下に害する所、趙に如くは莫し。然り而して秦の敢えて兵を挙げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議するを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、名山大川の険無く、稍稍として之を蚕食し、国都に傅きて止まん。韓・魏、秦を支うる能わず、必ず入りて秦に臣たらん。秦、韓・魏の規無くんば、則ち禍は必ず趙に中らん。此れ臣の君の為に患うる所なり。