長短経 / 懼戒
髙祖大驚、深拒之。太宗趨而出、明日復進說曰、「此為萬全之䇿、以救滅族之事。今王綱弛紊、盗賊逼天下、大人受命討捕、其可盡乎?賊既不盡、自當獲罪。且又世傳李氏姓膺圖籙、李全才位望隆貴、一朝族滅。大人既能平賊、即又功當不賞、以此求活、其可得乎?」髙祖意少解、曰、「我一夜思量、汝言大有道理。今日破家滅身亦由汝、化家為國亦由汝。」于是定計、乃命太宗與晉陽令劉文靜、及門下客長孫順徳、劉𢎞基等募兵。旬日之間、衆且一萬。斬留守副王威、髙君雅、以其詭請髙祖祈雨于晉祠、將為不利故也。
新字:高祖大驚、深拒之。太宗趨而出、明日復進説曰、「此為万全之策、以救滅族之事。今王綱弛紊、盗賊逼天下、大人受命討捕、其可尽乎?賊既不尽、自当獲罪。且又世伝李氏姓膺図籙、李全才位望隆貴、一朝族滅。大人既能平賊、即又功当不賞、以此求活、其可得乎?」高祖意少解、曰、「我一夜思量、汝言大有道理。今日破家滅身亦由汝、化家為国亦由汝。」于是定計、乃命太宗与晋陽令劉文静、及門下客長孫順徳、劉弘基等募兵。旬日之間、衆且一万。斬留守副王威、高君雅、以其詭請高祖祈雨于晋祠、将為不利故也。
書き下し
高祖大いに驚き、深く之を拒む。太宗趨りて出づ。明日復た進みて説きて曰く「此れ万全の策にして、以て滅族の事を救うなり。今、王綱弛紊し、盗賊天下に逼る。大人は命を受けて討捕す。其れ尽くすべけんや。賊既に尽きずんば、自ら当に罪を獲べし。且つ又た世に伝う、李氏の姓は図籙に膺ると。李全才は位望隆貴なるも、一朝にして族滅す。大人既に能く賊を平らぐるも、即ち又た功は賞せられざるに当たる。此を以て活を求むるも、其れ得べけんや」と。高祖の意少しく解けて曰く「我一夜思量するに、汝の言大いに道理有り。今日、家を破り身を滅ぼすも亦た汝に由り、家を化して国と為すも亦た汝に由る」と。是に於て計を定め、乃ち太宗と晋陽令劉文静、及び門下の客長孫順徳・劉弘基等とに命じて兵を募らしむ。旬日の間に、衆且に一万ならんとす。留守の副王威・高君雅を斬る。其の詭りて高祖に晋祠に雨を祈らんことを請い、将に不利を為さんとするが故なり。
現代語訳
李淵は大いに驚き、きっぱりと拒んだ。李世民は小走りに退出した。翌日また進み出て説いた。「これは万全の策で、一族皆殺しの事態を救うものです。いま王の綱紀は緩み乱れ、盗賊は天下に迫っています。父上は命を受けて討伐していますが、討ち尽くせるでしょうか。賊が尽きなければ、当然罪に問われます。しかも世間では、李氏の姓の者が予言書に当たると伝えられています。李渾は位も名望も高かったのに、一朝にして一族皆殺しにされました。父上が賊を平らげたとしても、今度は功が賞しきれないほど大きくなる。これで生き延びようとしても、できるでしょうか」。李淵の心は少しほぐれて言った。「一晩考えたが、お前の言うことには大いに道理がある。今日、家を破り身を滅ぼすのもお前によるし、家を国に変えるのもお前によるのだ」。こうして計を定め、李世民と晋陽令劉文静、門下の客長孫順徳・劉弘基らに兵を募らせた。十日ほどで一万近くが集まった。留守の副官王威と高君雅を斬った。二人が偽って李淵に晋祠で雨乞いをするよう求め、害を加えようとしていたからである。
解説

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『長短経』懼戒隋の煬帝初め唐の高祖を猜忌す。之を知りて、常に危懼を懐く〔唐公、太原留守と為る。煬帝遼東より還り、唐公を徴して行在所に詣らしむ。患いに遇いて瘳えず、未だ時に謁するを得ず。唐公の外甥王氏、後宮に充選せらる。煬帝問いて曰く「汝の舅の来たること何ぞ遅き」と。甥、実を以て対う。帝曰く「死を得べきや否や」と。高祖之を知り、毎に危懼を懐くなり〕。太原留守と為り、討撃利あらざるを以て、煬帝の譴むる所と為らんことを恐れ、甚だ之を憂う。時に太宗従いて軍中に在り、隋の将に亡びんとするを知り、潜かに義挙を図り、以て天下を安んぜんとす。乃ち進みて曰く「大人何ぞ之を憂うることの甚だしきや。当今、主上無道にして、百姓愁怨し、城門の外は皆已に賊と為る。独り小節を守らば、必ず且に旦暮に死亡せんとす。若し義兵を起こさば、実に人の欲に当たる。且つ晋陽は用武の地にして、食足り兵足る。大人之に居るは、此れ乃ち天授なり。正に機に因りて禍を転じ、以て功業に就くべし。既に天与うるに取らずんば、之を憂うるも何の益かあらん」と。
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『長短経』懼戒裴寂の計を用い、伊尹の太甲を放ち、霍光の昌邑を廃する故事に准い、煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて以て隋室を安んじ、檄を諸郡に伝えて、以て義挙を彰らかにす。秋七月、精甲三万を以て、西のかた関中を図る。高祖白旗に仗り、衆に太原の野に誓い、師を引きて路に即き、遂に隋族を亡ぼし、我が区夏を造る。
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『長短経』懼戒是に於て賓客を部署し、陰かに起義を図る。高祖乃ち文静に命じて詐りて煬帝の勅を為り、太原・雁門・馬邑数郡の人二十已上、五十以下を発して悉く兵と為し、歳暮を以て涿郡に集めしむ。是に由りて人情大いに擾れ、乱を思う者益々衆し。又た文静と裴寂とに令して詐りて符勅を作り、官監の庫物を出だして、以て留守の資用に供す。因りて兵を募り衆を集めて起ち、旗幟を改めて以て義挙を彰らかにす。又た文静をして突厥に連ならしむ。突厥の始畢曰く「唐公義を挙ぐ、何を為さんと欲するや」と。文静曰く「文皇帝は冢嫡を廃し、位を後主に伝え、因りて斯の禍乱を致す。唐公は国の懿戚にして、成敗を坐観するに忍びず、当に立つべからざる者を廃せんと欲す。願わくは可汗の兵馬と同に京師に入らん。人衆・土地は唐公に入り、財帛・金宝は突厥に入らん」と。始畢大いに悦び、即ち兵を遣わして文静に随わしめて至る。兵威益々盛んなり。〕
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『長短経』懼戒太宗喜びて曰く「計将に安くにか出でんとする」と。文静対えて曰く「今、李密は長く洛邑を囲み、主上は淮南に流播す。大賊は州郡を連ね、小盗の山沢を阻む者、千万を以て数う。但だ須らく真主の馭駕して之を取るべし。誠に能く天に応じ人に順い、旗を挙げて大呼せば、則ち四海も定むるに足らず。今、并州の百姓の盗賊を避くる者、皆此の城に入る。文静は令為ること数年、其の豪傑を知る。一朝嘯集せば、立地に数万人なるべし。尊公の領する所の兵も復た且に数万ならんとす。一言口より出でば、誰か敢えて従わざらん。虚に乗じて関に入り、天下に号令せば、半歳に盈たずして、帝業成るべし」と。太宗笑いて曰く「卿の言善し、人の意に合う」と。
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『智囊』武案・任瑰・唐太宗「我れ坐して日月を費やさば、衆心離れ沮み、則ち大事去らん。且つ関中蜂起の将、未だ属する所有らず、早く懐けざるべからず。屈突通は自ら虜を守るのみ、慮りとするに足らず」と。会々久しく雨ふり、淵進むこと能わず、軍中糧に乏し。劉文静兵を始畢可汗に請い、未だ返らず、或いは突厥と劉武周と虚に乗じて晋陽を襲わんと伝う。淵還りて根本を救わんと欲す。世民曰く、「今禾菽野を被う、何ぞ乏糧を憂えん。老生は軽躁、一戦して擒にすべし。李密は倉粟を顧恋し、未だ遠略に遑あらず。武周と突厥とは外は相附くと雖も、内は実に相猜う。武周遠く太原を利すと雖も、豈に近く馬邑を忘れんや。本と大義を興し、身を顧みず奮いて以て蒼生を救う、当に先ず咸陽に入り天下に号令すべし。今小敵に遇いて遂に已に師を班す。恐らくは義に従うの徒、一朝にして解体し、還りて太原一城の地を守らば、賊と為るのみ、何を以て自ら全うせん」と。淵聴かず。世民将に復た入りて諫めんとするも、会々淵已に寝ね、入るを得ず、外に号哭す。声帳中に聞こゆ。淵召して之を問う。世民曰く、「今兵は義を以て動く、進み戦えば則ち克ち、退き還れば則ち散ず。衆前に散じ、敵後に乗ぜば、死亡日無し、何ぞ悲しまざるを得ん」と。淵乃ち悟りて曰く、「兵已に発す、奈何せん」と。世民曰く、「右軍厳にして未だ発せず、左軍去ること亦た未だ遠からず。請う自ら之を追わん」と。乃ち建成と道を分かちて夜進み、左軍を追いて復た還らしむ。已にして太原の運糧も亦た至る。老生を誘いて戦い、之を斬る。日已に暮れ、攻城の具無く、将士肉薄して登り、遂に霍邑に克つ。
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