長短経 / 覇図
勒曰、「善!」於是輕騎襲幽州、勒晨至薊北門、叱門者開門、疑有伏兵、先驅牛羊數千頭、聲言上禮、實填諸街巷、使兵不得動發。勒入、浚乃懼。勒入其聽事、令甲士執浚送於襄國市、斬之、此三十六國之大略也。〕
新字:勒曰、「善!」於是軽騎襲幽州、勒晨至薊北門、叱門者開門、疑有伏兵、先駆牛羊数千頭、声言上礼、実填諸街巷、使兵不得動発。勒入、浚乃懼。勒入其聴事、令甲士執浚送於襄国市、斬之、此三十六国之大略也。〕
書き下し
勒曰く「善し」と。是に於て軽騎もて幽州を襲う。勒、晨に薊の北門に至り、門者を叱して門を開かしむ。伏兵有らんことを疑い、先ず牛羊数千頭を駆り、声言して礼を上ると。実は諸街巷に填ち、兵をして動発するを得ざらしむ。勒入り、浚、乃ち懼る。勒、其の聴事に入り、甲士をして浚を執えて襄国の市に送らしめ、之を斬る。此れ三十六国の大略なり。〉
現代語訳
石勒は「よし」と言った。そこで軽騎で幽州を襲った。石勒は明け方に薊の北門に至り、門番を叱って門を開けさせた。伏兵があるのではと疑い、まず牛羊数千頭を追い立て、贈り物を献上すると触れ回った。実際には街路を埋め尽くして、兵が動けないようにするためだった。石勒が入ると、王浚はようやく恐れた。石勒はその執務の場に入り、武装兵に王浚を捕らえさせて襄国の市場へ送り、斬った。これが三十六国のあらましである。〉
解説
牛羊数千頭を先に城内へ追い込みました。名目は献上品ですが、狙いは街路を埋めて守備兵を動けなくすることです。伏兵を警戒しながら、その警戒ごと解決する一手でした。長い工作の末に、最後は牛と羊で決着します。周到な準備は、こうした地味で具体的な仕掛けに行き着くものだ、という結びになっています。警戒を押し切るのではなく、警戒したまま無力化しているのが巧みです。
この章句が説くこと
覇図石勒王浚幽州牛羊街路
関連する章句
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『長短経』覇図石勒なる者は、上党の羯胡なり。趙に拠る。幽州牧王浚、百官を署置す。勒、并呑の意有り、先ず使いを発して以て之を観んと欲す。議する者僉な曰く「宜しく羊祜・陸抗の事の如く、亢書して相い聞ゆべし」と。時に張賓、疾有り。勒、就きて之を謀る。賓曰く「王浚は三部の力を仮り、南面を称せんと図る。晋の藩と曰うと雖も、実は僭逆の志を懐く。必ず英雄と協し、事業を図り済さんことを思わん。将軍は威、海内に振るう。去就は存亡と為り、所在は軽重と為る。浚の将軍を欲するは、猶お楚の韓信を招くがごとし。今、権譎して使いを遣わすも、誠款の形無くんば、脱り猜疑を生じ、之を図るの兆露れなば、後に奇略有りと雖も、設くる所無からん。夫れ大事を立つるは、必ず先ず之が為に卑くす。当に藩と称して推奉すべし。尚お信ぜられざるを恐る。羊・祜の事は、臣、未だ其の可なるを見ざるなり」と。勒曰く「君侯の計、是なり」と。
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