長短経 / 七雄略
張儀説趙王曰、敝邑秦王、使臣効愚於大王。大王收天下以賔秦、秦兵不敢出函谷關。是大王之威、行於山東。敝邑恐懼懾伏、繕甲厲兵、唯大王有意督過之也。今以大王之力、舉巴蜀、并漢中、包兩周、遷九鼎、守白馬之津。秦雖僻逺、然而心忿含怒之日乆矣。今有敝甲彫兵、軍於澠池、願渡河、據番吾、㑹戰邯鄲之下。以甲子合戰、以正殷之事。故使臣先以聞於左右。
新字:張儀説趙王曰、敝邑秦王、使臣効愚於大王。大王収天下以賓秦、秦兵不敢出函谷関。是大王之威、行於山東。敝邑恐懼懾伏、繕甲厲兵、唯大王有意督過之也。今以大王之力、舉巴蜀、并漢中、包両周、遷九鼎、守白馬之津。秦雖僻遠、然而心忿含怒之日久矣。今有敝甲彫兵、軍於澠池、願渡河、拠番吾、会戦邯鄲之下。以甲子合戦、以正殷之事。故使臣先以聞於左右。
書き下し
張儀、趙王に説きて曰く、敝邑の秦王、臣をして愚を大王に効さしむ。大王、天下を収めて以て秦を擯け、秦兵敢えて函谷関を出でず。是れ大王の威、山東に行わるるなり。敝邑恐懼懾伏し、甲を繕い兵を厲ぎ、唯だ大王の意ありて之を督過せんことを恐る。今、大王の力を以て、巴蜀を挙げ、漢中を并せ、両周を包み、九鼎を遷し、白馬の津を守る。秦は僻遠なりと雖も、然れども心忿り怒りを含むの日久し。今、敝甲凋兵有りて、澠池に軍す。願わくは河を渡り、番吾に拠り、邯鄲の下に会戦せん。甲子を以て合戦し、以て殷の事を正さん。故に臣をして先ず以て左右に聞せしむ。
現代語訳
張儀は趙王に説いて言った。「わが国の秦王が、私を遣わして大王に愚見を申し上げさせます。大王は天下をまとめて秦を退け、秦の兵は函谷関から出ようとしませんでした。これは大王の威光が山東に行き渡っていたからです。わが国は恐れ入り、鎧を繕い武器を研ぎ、ただ大王にとがめられることを案じてきました。いま大王のおかげで、秦は巴蜀を取り、漢中を併せ、東西の周を包み、九鼎を移し、白馬の渡しを守るまでになりました。秦は辺境の国ですが、怒りを胸に含んだ日々は長いのです。いま粗末な鎧と傷んだ兵を澠池に置いております。河を渡り、番吾に拠り、邯鄲の城下で一戦交えたい。甲子の日に戦い、殷を討った周の故事にならいたい。それで私に、まず前もってお知らせさせたのです」。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・張儀為秦連橫說趙王張儀秦の爲に連橫し、趙王に說きて曰く、「弊邑の秦王臣をして敢えて書を大王の御史に獻ぜしむ。大王天下を收率して以て秦を儐け、秦兵敢えて函谷關より出でざること十五年なり。大王の威、天下山東に行わる。弊邑恐懼懾伏し、甲を繕い兵を厲まし、車騎を飾り、馳射を習い、田に力めて粟を積み、四封の內を守り、愁居懾處し、敢えて動搖せず、唯だ大王の意有りて之を督過せんことを。今秦大王の力を以て、西のかた巴蜀を舉げ、漢中を并せ、東のかた兩周を收めて西のかた九鼎を遷し、白馬の津を守る。秦辟遠なりと雖も、然れども心忿悁して怒りを含むの日久し。今宣君微甲鈍兵有り、澠池に軍す、願わくは河を渡り漳を踰え、番吾に據り、邯鄲の下に迎戰せんことを。願わくは甲子の日を以て合戰し、以て殷紂の事を正さん。敬みて臣をして先に左右に聞かしむ。「凡そ大王の信じて以て從と爲す所の者は、蘇秦の計を恃めばなり。諸侯を熒惑し、是を以て非と爲し、非を以て是と爲す、齊國を反覆せんと欲して能わず、自ら齊の市に車裂せしむ。夫れ天下の一なる可からざるも亦明らかなり。今楚と秦とは昆弟の國と爲り、而して韓・魏東蕃の臣と稱し、齊魚鹽の地を獻ず、此れ趙の右臂を斷つなり。夫れ右臂を斷ちて人と鬬わんことを求む、其の黨を失いて孤居す、危無からんことを求むるも、豈に得可けんや。今秦三將軍を發し、一軍午道を塞ぎ、齊に告げて師を興し清河を度り、邯鄲の東に軍せしめ、一軍成臯に軍し、韓・魏を敺いて河外に軍せしめ、一軍澠池に軍す。約して曰く、四國一と爲りて趙を攻め、趙を破りて四に其の地を分かたんと。是の故に敢えて意を匿し情を隱さず、先に左右に聞かしむ。臣切に大王の爲に計るに、秦と澠池に遇い、面相い見て身相い結ぶに如くは莫し。臣請う兵を案じて攻めず、願わくは大王の計を定めんことを。」趙王曰く、「先王の時、奉陽君相たり、權を專らにし勢を擅にし、先王を蔽晦し、獨り官事を制す。寡人宮に居り、師傅に屬し、國を謀るに與る能わず。先王群臣を棄て、寡人年少く、祠祭を奉ずるの日淺し、私心固より竊かに之を疑う。以爲えらく一從して秦に事えざるは、國の長利に非ずと。乃ち且に心を變じ慮を易え、地を剖き前過を謝して以て秦に事えんとす。方に將に車を約して行に趨かんとするに、而して適々使者の明詔を聞く。」是に於て乃ち車三百乘を以て澠池に入朝し、河間を割きて以て秦に事う。
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『長短経』七雄略凡そ大王の縦を為すと信ずる所の者は、蘇秦を恃めばなり。蘇秦は諸侯を熒惑し、是を以て非と為し、非を以て是と為し、斉国を反覆せんと欲して、自ら車裂を市に令す。夫れ天下の一混斉すべからざることも亦た明らかなり。今、楚は秦と昆弟の国たり。而して韓・梁は東藩の臣と称し、斉は魚塩の地を献ず。此れ趙の右臂を断つなり。夫れ右臂を断ちて人と闘い、其の党を失いて孤居し、危うきこと無からんことを求め欲するも、豈に得べけんや。今、秦は三軍を発す。其の一軍は午道を塞ぎ、斉に告げて師を興さしめ、河を渡りて邯鄲の東に軍せしむ。一軍は成皋に軍し、韓・梁の軍を河外に駆る。一軍は澠池に軍し、四国に約して趙を攻めしむ。趙服すれば、必ず其の地を四分せん。是の故に、敢えて意を匿し情を隠さず、先ず以て左右に聞す。臣竊かに大王の為に計るに、秦王と澠池に遇い、面相見て口相約するに如くは莫し。請う、兵を案じて攻むること無からん。願わくは大王の計を定めよ」と。趙の粛侯、之を許す。
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『長短経』七雄略夫れ趙王の狼戻にして親無きは、大王の明らかに見る所なり。且つ趙を以て親しむべしと為すか。趙は兵を興して燕を攻め、再び燕の都を囲みて大王を劫かし、大王は十城を割きて以て謝す。今、趙王は已に澠池に入朝し、河間を効して以て秦に事う。今、大王秦に事えずんば、秦は甲を雲中・九原に下し、趙を駆りて燕を攻めしめん。則ち易水・長城は王の有に非ざらん。今、王秦に事えば、秦王必ず喜び、趙は敢えて妄りに動かず。是れ西に強秦の援有りて、南に斉・趙の患い無きなり。是の故に、願わくは大王之を熟計せよ」と。燕王、張儀に聴く。張儀帰りて秦に報ず。
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『長短経』七雄略六国既に縦を合し、蘇秦、縦約の長と為る。北のかた趙に報ず。趙の粛侯、秦を封じて武安君と為す。乃ち縦約の書を秦に投ず。秦、敢えて兵を函谷に闚わざること十五年。後、張儀、秦の為に連衡す。〈秦、魏を攻めんと欲し、先ず韓を敗り、申差の軍、首を斬ること八万。諸侯震恐す。而して儀、乃ち来たりて魏王に説く。〉魏王に説きて曰く。〈秦の孝公の時、公孫鞅、魏を伐たんことを請いて曰く「魏は嶺阨の間に居り、西のかた安邑に都し、秦と河を界とす。而して独り山東の利を擅にす。利あれば則ち西のかた秦を侵し、病めば即ち東のかた地を収む。今、君の賢聖を以て、国は頼りて以て盛んなり。宜しく此の時に及びて魏を伐つべし。魏、秦を支えずんば、必ず東のかた徙らん。東のかた徙らば則ち山河の固きに拠り、東に向かいて以て諸侯を制せん。此れ帝業なり」と。是れ自り後、魏、果たして安邑を去り、都を大梁に徙す。〉
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『長短経』七雄略張儀、韓に如き、韓の宣王に説きて曰く「韓の地は険悪にして、山居し、五穀の生ずる所、菽に非ずんば麦なり。地は方九百里に過ぎず、二年の食料無し。大王の卒、悉く挙ぐるも三十万に過ぎず。而して厮徒負養、其の中に在り。今、秦は帯甲百万、車千乗、騎万匹、虎賁の士、跿跔科頭、頤を貫き戟を奮う者、勝げて数う可からず。山東は甲を被り□を冑して以て会戦するに、秦人は甲を捐て徒裼して以て敵に趨り、左に人頭を挈げ、右に生虜を挟む。秦の山東の卒を逐うは、猶お孟賁の怯夫と与にするがごとし。軽重を以て相い圧するは、猶お烏獲の嬰児と与にするがごとし。
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『長短経』七雄略夫れ秦、軹道を下らば、則ち南陽危うし。韓を刧かし周を包まば、則ち趙は自ら兵を操らん。衛に拠りて淇・巻を取らば、則ち斉は必ず入りて秦に朝せん。秦、已に山東を得んと欲せば、則ち必ず兵を挙げて趙に嚮かわん。秦甲、河を渡り漳を踰え、番吾に拠らば、則ち兵は必ず邯鄲の下に戦わん。此れ臣の君の為に危ぶむ所なり。当今の時、山東の建国、趙より強きは莫し。趙の地は方二千余里、帯甲数十万、車千乗、騎万匹、粟は数年を支う。西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕有り。燕は固より弱国なり。畏るるに足らざるなり。秦の天下に害する所、趙に如くは莫し。然り而して秦の敢えて兵を挙げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議するを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、名山大川の険無く、稍稍として之を蚕食し、国都に傅きて止まん。韓・魏、秦を支うる能わず、必ず入りて秦に臣たらん。秦、韓・魏の規無くんば、則ち禍は必ず趙に中らん。此れ臣の君の為に患うる所なり。