長短経 / 覇図
新市人王匡等立劉聖公為天子、而害伯升、〔劉𤣥、字聖公、世祖族兄也。避吏平林、王匡等立之。初、伯升自王莽簒漢常憤憤懐匡復社稷之慮。不事家人之居業、傾身破産、交結天下雄俊。王莽末、盜賊羣起。伯升召諸豪杰計議、於是使親客鄧晨起新野、世祖、李軼起於宛、伯升發舂陵、子弟七八千人、部署賔客、自稱「柱天都部」、使劉嘉誘新市、平林兵王匡、陳牧等合軍而進、屠長聚。諸将議立劉氏、以從人望、豪傑咸欲歸伯升。而新市、平林将帥樂放縱、憚伯升威明、貪聖公懦弱、先定䇿立之、然後召伯升示其議。
新字:新市人王匡等立劉聖公為天子、而害伯升、〔劉玄、字聖公、世祖族兄也。避吏平林、王匡等立之。初、伯升自王莽簒漢常憤憤懐匡復社稷之慮。不事家人之居業、傾身破産、交結天下雄俊。王莽末、盗賊羣起。伯升召諸豪杰計議、於是使親客鄧晨起新野、世祖、李軼起於宛、伯升発舂陵、子弟七八千人、部署賓客、自称「柱天都部」、使劉嘉誘新市、平林兵王匡、陳牧等合軍而進、屠長聚。諸将議立劉氏、以従人望、豪傑咸欲帰伯升。而新市、平林将帥楽放縦、憚伯升威明、貪聖公懦弱、先定策立之、然後召伯升示其議。
書き下し
新市の人王匡等、劉聖公を立てて天子と為し、伯升を害す。〈劉玄、字は聖公、世祖の族兄なり。吏を平林に避く。王匡等、之を立つ。初め、伯升は王莽の漢を簒いしより、常に憤憤として社稷を匡復するの慮を懐く。家人の居業を事とせず、身を傾け産を破りて、天下の雄俊を交結す。王莽の末、盗賊群れ起こる。伯升、諸豪傑を召して計議す。是に於て親客鄧晨をして新野に起こらしめ、世祖・李軼、宛に起こり、伯升、舂陵に発し、子弟七八千人、賓客を部署し、自ら柱天都部と称す。劉嘉をして新市・平林の兵の王匡・陳牧等を誘いて軍を合わせて進ましめ、長聚を屠る。諸将、劉氏を立てて、以て人望に従わんことを議す。豪傑、咸な伯升に帰せんと欲す。而して新市・平林の将帥は放縦を楽しみ、伯升の威明を憚り、聖公の懦弱なるを貪り、先ず策を定めて之を立て、然る後に伯升を召して其の議を示す。
現代語訳
新市の人王匡らが劉聖公を天子に立て、伯升を殺した。〈劉玄は字を聖公といい、世祖の族兄である。役人を避けて平林にいた。王匡らがこれを立てた。はじめ、伯升は王莽が漢を奪って以来、常に憤って国家を回復する思いを抱いていた。家の生業には手をつけず、身を傾け財産を使い果たして、天下の英傑と交わりを結んだ。王莽の末、盗賊が群れ起こった。伯升は豪傑たちを集めて相談した。そして親しい食客の鄧晨を新野で挙兵させ、世祖と李軼は宛で、伯升は舂陵で起こし、子弟七、八千人、賓客を配置して、自ら柱天都部と称した。劉嘉に新市・平林の兵の王匡や陳牧らを誘わせて軍を合わせて進み、長聚を屠った。諸将は劉氏を立てて人望に従おうと議した。豪傑はみな伯升に帰したがった。しかし新市と平林の将帥は放縦を好み、伯升の威厳と明察を煙たがり、聖公の弱さを好み、先に決めて立ててしまい、そのうえで伯升を呼んでその決定を示した。
解説

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