長短経 / 懼戒
王曰、「茍如公言、不可徼倖耶?」被曰、「被有愚計。」王曰、「奈何?」被曰、「今朔方之郡田地廣、水草美、民徙者不足以實其地。可偽為丞相御史請書、徙郡國豪傑任俠及有耐罪以上〔輕罪不致于髠完其耐鬢、故曰、「耐」。又曰、「律」。耐為司寇、耐為鬼薪、白粲。耐、猶任也。、〕赦令除、家産五十萬以上者、皆徙其家屬朔方之郡、益發甲卒、急其㑹日。又偽為左右都司空上林中都官詔獄、逮諸侯太子幸臣〔宗正有左右都司空、上林有水司空、皆主囚徒官也。〕如此則民怨、諸侯懼、即使辨武〔人名〕隨而説之、倘可徼倖十得一乎?」王曰、「此可也。」欲如伍被計。使人偽得罪而西、事大將軍、丞相、一日發兵〔發淮南兵、〕使人即刺殺大將軍青、而説丞相以下如發蒙耳。又欲令衣求盗衣、持羽檄、從東方來、呼曰、『南越兵入。』欲因以發兵。未得發、㑹事泄、誅。
新字:王曰、「苟如公言、不可徼倖耶?」被曰、「被有愚計。」王曰、「奈何?」被曰、「今朔方之郡田地広、水草美、民徙者不足以実其地。可偽為丞相御史請書、徙郡国豪傑任侠及有耐罪以上〔軽罪不致于髠完其耐鬢、故曰、「耐」。又曰、「律」。耐為司寇、耐為鬼薪、白粲。耐、猶任也。、〕赦令除、家産五十万以上者、皆徙其家属朔方之郡、益発甲卒、急其会日。又偽為左右都司空上林中都官詔獄、逮諸侯太子幸臣〔宗正有左右都司空、上林有水司空、皆主囚徒官也。〕如此則民怨、諸侯懼、即使弁武〔人名〕随而説之、倘可徼倖十得一乎?」王曰、「此可也。」欲如伍被計。使人偽得罪而西、事大将軍、丞相、一日発兵〔発淮南兵、〕使人即刺殺大将軍青、而説丞相以下如発蒙耳。又欲令衣求盗衣、持羽檄、従東方来、呼曰、『南越兵入。』欲因以発兵。未得発、会事泄、誅。
書き下し
王曰く「苟も公の言の如くんば、徼倖すべからざるか」と。被曰く「被に愚計有り」と。王曰く「奈何」と。被曰く「今、朔方の郡は田地広く、水草美しく、民の徙る者以て其の地を実たすに足らず。偽りて丞相・御史の請書を為り、郡国の豪傑任侠及び耐罪以上有る者を徙し〔軽罪は髠に至らず、其の耐鬢を完うす、故に耐と曰う。又た律と曰う。耐して司寇と為し、耐して鬼薪・白粲と為す。耐は猶お任のごときなり〕、赦令もて除き、家産五十万以上の者は、皆其の家属を朔方の郡に徙し、益々甲卒を発して、其の会日を急にす。又た偽りて左右都司空・上林・中都官の詔獄を為り、諸侯の太子・幸臣を逮う〔宗正に左右都司空有り、上林に水司空有り、皆囚徒を主る官なり〕。此くの如くんば則ち民怨み、諸侯懼る。即ち辨武をして随いて之に説かしめば〔人の名〕、倘くは徼倖して十に一を得べきか」と。王曰く「此れ可なり」と。伍被の計の如くせんと欲す。人をして偽りて罪を得て西し、大将軍・丞相に事えしめ、一日兵を発すれば〔淮南の兵を発す〕、人をして即ち大将軍青を刺殺せしめ、而して丞相以下に説くこと蒙を発くが如くせんとす。又た衣を求盗の衣にし、羽檄を持ちて東方より来たらしめ、呼びて曰く『南越の兵入る』と。因りて以て兵を発せんと欲す。未だ発するを得ざるに、会々事泄れ、誅せらる。
現代語訳
王は言った。「もしあなたの言うとおりなら、万一の僥倖も望めないのか」。伍被は言った。「私に愚かな計があります」。王が「どうするのか」と言うと、伍被は言った。「いま朔方郡は田地が広く水も草も豊かですが、移住した民ではその地を満たすのに足りません。丞相・御史の請願書を偽造して、各郡国の豪傑や任侠の者、耐罪以上の罪人を移住させ〔軽い罪で髪を剃るまでには至らず、鬢を残すので耐という。律ともいう。耐罪で司寇や鬼薪・白粲の刑に処す。耐は任のようなもの〕、恩赦で罪を除き、家産五十万以上の者は家族ごと朔方郡に移し、兵をさらに徴発して集合の日を急がせます。また左右都司空・上林・中都官の詔獄の文書を偽造して、諸侯の太子や寵臣を捕らえさせます〔宗正に左右都司空があり、上林に水司空があり、どれも囚人を扱う官〕。そうすれば民は恨み、諸侯は恐れます。そこで辨武に後から説かせれば〔人名〕、あるいは十に一つは僥倖を得られるかもしれません」。王は「これならよい」と言い、伍被の計のとおりにしようとした。人を罪を犯したふりをさせて西へ送り、大将軍や丞相に仕えさせ、いったん兵を挙げたら〔淮南の兵を挙げる〕、すぐに大将軍衛青を刺殺させ、丞相以下は覆いを取るようにたやすく説き伏せようとした。また盗賊を追う役人の服を着せ、急を告げる檄文を持たせて東から来させ、「南越の兵が攻め入った」と叫ばせ、それを口実に兵を挙げようとした。まだ挙兵しないうちに事が漏れて、誅殺された。
解説

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史記 淮南衡山列伝又偽りて左右都司空・上林・中都官の詔獄の書を為り、諸侯の太子幸臣を逮へしむ。此くの如くなれば則ち民怨み、諸侯懼る、即ち弁武をして随ひて之に説かしめば、儻いは徼幸して什に一を得べきか」と。王曰く、「此れ可なり。然りと雖も、吾以為へらく此くの若きに至らずと」と。是に於て王乃ち官奴をして宮に入りて、皇帝の璽、丞相・御史・大将軍・軍吏・中二千石・都官の令・丞の印、及び旁近の郡の太守・都尉の印、漢の使節・法冠を作らしめ、伍被の計の如くせんと欲す。人をして偽りて罪を得て西せしめ、大将軍・丞相に事へしめ、一日兵を発せば、人をして即ち大将軍青を刺殺せしめ、而して丞相に説きて之を下すこと、蒙を発くが如くならんのみ。王国中の兵を発せんと欲するも、其の相・二千石の聴かざらんことを恐る。王乃ち伍被と謀り、先づ相・二千石を殺さんとす。偽りて宮中に失火し、相・二千石火を救はば、至るに即ち之を殺さんと。計未だ決せず、又人をして求盗の衣を衣て、羽檄を持し、東方より来たりて、呼びて「南越の兵界に入る」と曰はしめ、因りて以て兵を発せんと欲す。乃ち人をして廬江・会稽に至りて求盗と為さしむるも、未だ発せず。王伍被に問ひて曰く、「吾兵を挙げて西郷せば、諸侯必ず我に応ずる者有らん。即し応ずる無くんば、柰何」と。被曰く、「南は衡山を収めて以て廬江を撃ち、尋陽の船を有ち、下雉の城を守り、九江の浦を結び、豫章の口を絶ち、彊弩もて江に臨みて守り、以て南郡の下るを禁じ、東は江都・会稽を収め、南は勁越に通じ、江淮の間に屈彊せば、猶ほ歳月の寿を延ばすを得べし」と。王曰く、「善し、以て此に易ふる無し。急なれば則ち越に走らんのみ」と。是に於て廷尉王孫建の辞淮南王の太子遷に連なるを以て聞す。上廷尉監を遣はし因りて淮南の中尉を拝し、太子を逮捕せしむ。淮南に至る、淮南王聞き、太子と謀りて相・二千石を召し、殺して兵を発せんと欲す。相を召す、相至る。内史は出づるを以て解と為す。
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『長短経』懼戒淮南王安、厲王の死を怨望し〔厲王長は、淮南王安の父なり。長謀反し、檻車にて蜀に遷され、雍に至りて死す。上之を憐れみ、其の三子を封じ、安を以て淮南王と為すなり〕、叛逆を謀らんと欲するも、未だ因有らず。削地の後に及びて、其の謀を為すこと益々甚だし。左呉等と日夜輿地図を按じ、兵の従いて入る所を部署す。伍被を召して与に謀る。曰く「上、大王を寛赦す。王、復た安んぞ亡国の言を得んや。臣聞く、子胥、呉王を諫むるも、呉王用いず。子胥曰く『臣今、麋鹿の姑蘇の台に遊ぶを見る』と。臣も今亦た宮中に荊棘生じ、霧露衣を沾すを見る。臣聞く、聡き者は無声に聴き、明なる者は未形に見る、と。故に聖人は万挙万全なり。昔、文王一たび動きて、功は世に顕れ、列して三代と為る。此れ所謂天心に因りて以て化する者なり。故に海内期せずして随う。此れ千歳の見るべき者なり。夫れ百年の秦、近世の呉楚も、亦た以て国家の存亡を喩うるに足る。臣は敢えて子胥の誅を避けず。願わくは大王、呉王の聴を為すこと無かれ。
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『長短経』懼戒王怒る。被、死罪を謝す。王曰く「陳勝・呉広は立錐の地無く、千人の衆もて、大沢に起こり、臂を奮いて大呼して天下響応し、西して戯に至りて兵百万なり。今、吾が国小なりと雖も、然れども勝兵の者、十余万を得べし。直だ適戍の衆、鐖鑿棘矜のみに非ざるなり。公何を以て禍有りて福無しと言う」と。被曰く「秦は無道にして、天下を残賊す。万乗の駕を興し、阿房の宮を作り、太半の賦を収め、閭左の戍を発す。父は子を寧んぜず、兄は弟を便とせず。政苛しく刑峻しく、天下は熬然として燋かるるが若し。民は皆領を引きて望み、耳を傾けて聴き、悲号して天を仰ぎ、心を扣きて上を怨む。故に陳勝一たび呼びて、天下響応す。当今、陛下は天下に臨制し、海内を一斉にし、汎く蒸庶を愛し、徳を布き恵を施す。口未だ言わずと雖も、声は雷霆より疾く、令未だ出でずと雖も、化の馳すること神の如し。心に懐く所有れば、威は万里を動かし、下の上に応ずること、猶お影響のごとし。而して大将軍の材能は、特に章邯・楊熊のみに非ざるなり。大王、陳勝・呉広を以て之に喩う。被以為えらく過てり」と。
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『長短経』三国権淮南王劉安、其の父厲王長の死を怨望し、謀りて叛逆を為さんとし、伍被に問いて曰く「吾、兵を挙げて西に嚮かわば、諸侯必ず応ずる者有らん。即し無くんば奈何せん」と。被曰く「南のかた衡山を収め〔衡州〕、以て廬江を撃ち〔廬州〕、潯陽の船を有ち、下雉の城を守り〔江夏に在り、県名なり〕、九江の浦を結び、豫章の口を絶ち〔洪州是れなり〕、強弩もて江に臨みて守り、以て南郡の下るを禁じ、東のかた江都〔揚州なり〕・会稽〔越州なり〕を収め、南のかた勁越に通じ、江・淮の間に屈強せば、猶お一挙にして歳月の寿を延ぶるを得べし」と。王曰く「善し」と。未だ発するを得ざるに、会々事泄れ、誅至る。
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『長短経』懼戒後に復た伍被に問いて曰く「漢庭は治まるか乱るるか」と。被曰く「竊かに朝廷の政を覩るに、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、皆其の理を得、上の挙措は古の道に遵い、風俗綱紀未だ欠くる所有らず。南越は賓服し、羌・僰は入献し、東甌は入降し、長楡を広め〔塞の名なり〕、朔方を開き、匈奴は翅を折り翼を傷つけ、援を失いて振るわず。古の太平の時に及ばずと雖も、然れども猶お治と為すなり。王、事を挙げんと欲するも、臣は其の将に禍有りて福無からんとするを見る」と。
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史記 淮南衡山列伝王又被に謂ひて曰く、「山東即し兵有らば、漢必ず大将軍をして将として山東を制せしめん、公以為へらく大将軍は何如なる人ぞ」と。被曰く、「被の善くする所の者黄義、大将軍に従ひて匈奴を撃ち、還りて、被に告げて曰く、『大将軍士大夫を遇するに礼有り、士卒に於いて恩有り、衆皆之が用を為すを楽しむ。騎して山を上下すること蜚ぶが若く、材幹人に絶す』と。被以為へらく材能此くの如く、数々将として兵を習ふ、未だ当たり易からざるなりと。謁者曹梁長安に使ひして来たるに及び、言ふ大将軍号令明らかにして、敵に当たりて勇敢、常に士卒の先と為る。休舎するに、井を穿ちて未だ通ぜざれば、士卒の尽く水を得るを須ちて、乃ち敢て飲む。軍罷むるに、卒尽く已に河を度りて、乃ち度る。皇太后の賜ふ所の金帛、尽く以て軍吏に賜ふ。古の名将と雖も過ぎざるなりと」と。王黙然たり。淮南王建の已に徴されて治めらるるを見、国の陰事の且に覚られんとするを恐れ、発せんと欲す、被又以て難しと為す、乃ち復た被に問ひて曰く、「公以為へらく呉の兵を興すは是か非か」と。被曰く、「以て非と為すなり。呉王は富貴を至むるなり、事を挙げて当たらず、身は丹徒に死し、頭足処を異にし、子孫遺類無し。臣聞く呉王之を悔ゆること甚しと。願はくは王孰く之を慮り、呉王の悔ゆる所を為す無かれ」と。王曰く、「男子の死する所の者は一言のみ。且つ呉何ぞ反を知らん、漢の将一日に成皋を過ぐる者四十余人。今我楼緩をして先づ成皋の口を要せしめ、周被をして潁川の兵を下して轘轅・伊闕の道を塞がしめ、陳定をして南陽の兵を発して武関を守らしめん。河南の太守独り雒陽有るのみ、何ぞ憂ふるに足らん。然れども此の北に尚ほ臨晋関・河東・上党と河内・趙国と有り。人言ひて曰く『成皋の口を絶たば、天下通ぜず』と。三川の険に拠り、山東の兵を招き、事を挙ぐること此くの如し、公以為へらく何如」と。被曰く、「臣其の禍を見るも、未だ其の福を見ざるなり」と。