長短経 / 囲師
魏太祖圍壺關、下令曰、“城拔皆坑之。”連月不下、曹仁言于太祖曰、“圍城必示之門、所以開其生路也。今公許之必死、將人人自為守、且城固而粮多、攻之則士卒傷、守則引日持乆、今頓兵堅城之下、以攻必死之虜、非良計也。”太祖從之、城降。
新字:魏太祖囲壺関、下令曰、“城抜皆坑之。”連月不下、曹仁言于太祖曰、“囲城必示之門、所以開其生路也。今公許之必死、将人人自為守、且城固而粮多、攻之則士卒傷、守則引日持久、今頓兵堅城之下、以攻必死之虜、非良計也。”太祖従之、城降。
書き下し
魏の太祖、壺関を囲み、令を下して曰く「城抜けば皆之を坑にせん」と。連月下らず。曹仁、太祖に言いて曰く「城を囲むには必ず之に門を示す。其の生路を開く所以なり。今、公は之に必ず死すと許す。将に人人自ら守りを為さんとす。且つ城固くして糧多し。之を攻むれば則ち士卒傷つき、守れば則ち日を引き久しきを持す。今、兵を堅城の下に頓めて、以て必死の虜を攻むるは、良計に非ざるなり」と。太祖之に従う。城降る。
現代語訳
魏の太祖曹操は壺関を包囲し、「城が落ちたら皆生き埋めにする」と命令を下した。何か月たっても城は降らなかった。曹仁は曹操に言った。「城を囲むときは必ず出口を示し、生き延びる道を開けておくものです。いま殿は、降っても必ず死ぬと約束されました。これでは一人ひとりが自ら城を守ろうとします。しかも城は堅く食糧も多い。攻めれば兵が傷つき、囲み続ければ日が延びて長引きます。いま堅い城の下に兵をとどめて、死を覚悟した敵を攻めるのは良い計ではありません」。曹操はこれに従い、城は降伏した。
解説
曹操は壺関を囲み、落ちたら皆殺しにすると宣言しました。すると城兵は、降伏しても死ぬならと必死で守り、何か月も落ちなかった。曹仁は、生き延びる道を示さなければ、一人ひとりが自分の命をかけて守る兵になってしまうと指摘した。曹操が方針を改めると、城はすぐに降伏した。厳罰の宣言は、相手を従わせるどころか、相手の抵抗に最も強い理由を与えることがある。降参しやすい道を用意することが、早く終わらせる近道なのです。
この章句が説くこと
囲師曹仁曹操壺関生路厳罰の逆効果
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