長短経 / 覇図
不盈數年、禍将作矣。然後仗順而舉、應天順人、嵩岳為城、洛水為池、武臣勁兵經畧於外、文吏儒士守之於内。孰與邀一時之功、墜萬全之業?欲取之、先與之、将弱之、必强之。欲取而不與、必受天咎、将弱而不强、必受天殃。願主公始與之而强之、我承其弊、以全制其後、無弗捷矣。」
新字:不盈数年、禍将作矣。然後仗順而舉、応天順人、嵩岳為城、洛水為池、武臣勁兵経略於外、文吏儒士守之於内。孰与邀一時之功、墜万全之業?欲取之、先与之、将弱之、必強之。欲取而不与、必受天咎、将弱而不強、必受天殃。願主公始与之而強之、我承其弊、以全制其後、無弗捷矣。」
書き下し
数年に盈たずして、禍将に作らんとす。然る後に順に仗りて挙げ、天に応じ人に順わん。嵩岳を城と為し、洛水を池と為し、武臣勁兵は外に経略し、文吏儒士は内に之を守る。孰れぞ一時の功を邀えて、万全の業を墜とすと。取らんと欲すれば、先ず之に与う。弱めんと欲すれば、必ず之を強くす。取らんと欲して与えずんば、必ず天咎を受く。弱めんとして強くせずんば、必ず天殃を受く。願わくは主公、始め之に与えて之を強くし、我、其の弊を承け、以て全を以て其の後を制せば、捷たざる無からん」と。
現代語訳
数年たたずに禍が起こるでしょう。そのあとで順に乗じて挙兵すれば、天に応じ人に順うことになる。嵩山を城壁とし洛水を堀とし、武臣と精兵は外で経営し、文官と儒者は内で守る。一時の功を求めて万全の事業を落とすのと、どちらがよいでしょう。取ろうとするなら、まず与える。弱めようとするなら、必ず強くする。取ろうとして与えなければ、必ず天の咎めを受ける。弱めようとして強くしなければ、必ず天の災いを受ける。どうか主公は、はじめは与えて強くさせ、我々はその疲れを受けて、万全の態勢で後を制すれば、勝てないことはありません」。
解説
取ろうとするならまず与え、弱めようとするなら強くする。老子の言葉を戦略に持ち込んでいます。相手を伸びるだけ伸ばさせて、行き詰まったところを取る。数年待てと言っているわけです。ただし、待てるかどうかは自分の陣営が数年持つかにかかります。李密は賢いと言って採用しかけ、結局は戦う側の意見を採りました。待つ策は、待てる体力があってはじめて策になります。
この章句が説くこと
覇図祖君彦李密将欲取之待つ老子
関連する章句
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