長短経 / 君徳
後里閭相與語曰、「單之愛人、乃王教之也。」夫收臣下之權、宜如晏子及貫珠者。昔漢祖疾甚、吕后問為相、曰、「曹參可。」問其次、曰、「王陵可。然少戅陳平可以助之。陳平智有餘、然難獨任。周勃厚重少文、然安劉氏者、必勃也。可令為太尉。」宋髙祖大漸、誡太子曰、「檀道濟雖有幹略而無逺志徐羨之、傅亮當無異圖、謝晦常從征伐、頗識機變、若有同異、必此人也、可以㑹稽處之。」夫任賢用能、宜如漢髙及宋祖矣。〕
新字:後里閭相与語曰、「単之愛人、乃王教之也。」夫収臣下之権、宜如晏子及貫珠者。昔漢祖疾甚、呂后問為相、曰、「曹参可。」問其次、曰、「王陵可。然少戅陳平可以助之。陳平智有余、然難独任。周勃厚重少文、然安劉氏者、必勃也。可令為太尉。」宋高祖大漸、誡太子曰、「檀道済雖有幹略而無遠志徐羨之、傅亮当無異図、謝晦常従征伐、頗識機変、若有同異、必此人也、可以会稽処之。」夫任賢用能、宜如漢高及宋祖矣。〕
書き下し
後に里閭、相い与に語りて曰く「単の人を愛するは、乃ち王の之を教うるなり」と。夫れ臣下の権を収むるは、宜しく晏子及び貫珠なる者の如くすべし。昔、漢祖疾甚し。呂后、相と為すを問う。曰く「曹参可なり」と。其の次を問う。曰く「王陵可なり。然れども少しく戇なり。陳平以て之を助く可し。陳平は智余り有り、然れども独り任じ難し。周勃は厚重にして文少なし。然れども劉氏を安んずる者は必ず勃ならん。太尉と為さしむ可し」と。宋の高祖、大漸す。太子を誡めて曰く「檀道済は幹略有りと雖も遠志無し。徐羨之・傅亮は当に異図無かるべし。謝晦は常に征伐に従い、頗る機変を識る。若し同異有らば、必ず此の人ならん。会稽を以て之に処く可し」と。夫れ賢に任じ能を用うるは、宜しく漢の高及び宋の祖の如くすべし。〕
現代語訳
のちに村里の人々が語り合って言った。「田単が人を愛するのは、王がそう教えたからだ」。臣下の権を収めるには、晏子や貫珠のようにすべきである。昔、漢の高祖が重病になった。呂后が宰相にすべき者を尋ねた。高祖は言った。「曹参がよい」。その次を尋ねた。「王陵がよい。しかし少し愚直だ。陳平が助けるとよい。陳平は知恵が余っているが、一人に任せるのは難しい。周勃は重厚だが文才が少ない。しかし劉氏を安んじる者は必ず周勃だろう。太尉にするがよい」。宋の高祖が危篤になった。太子を戒めて言った。「檀道済は才幹と計略があるが遠大な志はない。徐羨之と傅亮は異心を抱くまい。謝晦は常に征伐に従い、かなり機微の変化を知っている。もし異心を持つ者があれば、必ずこの人物だろう。会稽の地に置くとよい」。賢に任せ能ある者を用いるには、漢の高祖と宋の高祖のようにすべきである。〕
解説

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