長短経 / 七雄略
説魏襄王曰、「大王之地、南有鴻溝、陳汝東有淮、潁、煑棗、西有長城之界、北有河外、卷、衍。地方千里、地名雖小、然而田與舍廬曾無芻牧之地。人民之衆、車馬之多、日夜行不絶、輷輷殷殷、若有三軍之衆。魏、天下之强國也、王、天下之賢主也。今乃有意西面而事秦、稱東藩、築帝宫、受冠帶、祠春秋。臣竊為大王恥之。臣聞、越王勾踐、戰弊卒三千、擒夫差於干遂、武王卒三千、革車三百乘、制紂於牧野。豈其卒衆哉?誠能奮其威也!
新字:説魏襄王曰、「大王之地、南有鴻溝、陳汝東有淮、潁、煑棗、西有長城之界、北有河外、巻、衍。地方千里、地名雖小、然而田与舎廬曽無芻牧之地。人民之衆、車馬之多、日夜行不絶、輷輷殷殷、若有三軍之衆。魏、天下之強国也、王、天下之賢主也。今乃有意西面而事秦、称東藩、築帝宮、受冠帯、祠春秋。臣窃為大王恥之。臣聞、越王勾践、戦弊卒三千、擒夫差於干遂、武王卒三千、革車三百乗、制紂於牧野。豈其卒衆哉?誠能奮其威也!
書き下し
魏の襄王に説きて曰く「大王の地は、南に鴻溝・陳汝有り、東に淮・潁・煑棗有り、西に長城の界有り、北に河外・巻・衍有り。地は方千里、地名は小なりと雖も、然れども田と舎廬と、曽て芻牧の地無し。人民の衆き、車馬の多き、日夜行きて絶えず、輷輷殷殷として、三軍の衆有るが若し。魏は、天下の強国なり。王は、天下の賢主なり。今、乃ち意に西面して秦に事え、東藩と称し、帝宮を築き、冠帯を受け、春秋に祠らんとする有り。臣、竊かに大王の為に之を恥ず。臣聞く、越王勾践は、弊卒三千を戦わせて、夫差を干遂に擒にす。武王は卒三千、革車三百乗にて、紂を牧野に制す。豈に其れ卒の衆きならんや。誠に能く其の威を奮えばなり。
現代語訳
魏の襄王に説いた。「大王の土地は、南に鴻溝と陳汝、東に淮水と潁水と煑棗、西に長城の境、北に河外と巻と衍がある。土地は千里四方で、地名としては小さいが、田と家屋がびっしりで、家畜を放つ土地さえない。人の多さ、車馬の多さは、日夜途切れず、轟々と響いて、三軍の兵がいるようである。魏は天下の強国であり、王は天下の賢主である。それなのにいま、西を向いて秦に仕え、東の藩と称し、帝の宮殿を築き、冠と帯を受け、春秋に祀ろうとしている。私はひそかに大王のために恥じます。私が聞くところでは、越王勾践は疲れた兵三千で夫差を干遂で捕らえた。武王は兵三千、革の戦車三百台で、紂を牧野で制した。兵が多かったからでしょうか。まことに威を奮えたからです」。
解説
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『長短経』七雄略今、竊かに聞く、大王の卒、武士二十万、倉頭・奮撃二十万、厮徒十万、車六百乗、騎六千匹、と。此れ越王勾践・武王に過ぐること遠し。今、乃ち群臣の説を聴きて、臣として秦に事えんと欲す。夫れ秦に事うれば必ず地を割きて以て実を効す。故に兵未だ用いずして国已に虧く。夫れ人臣と為りて其の主の地を割きて以て外交し、偸みて一旦の功を取りて、其の後を顧みず、公家を破りて私門を成し、外は強秦の勢いを挟みて、以て内は其の王を刧かして以て地を割かんことを求む。願わくは大王、熟ら之を察せよ。周書に曰く『綿綿として絶えずんば、蔓蔓として奈何せん。毫釐にして伐らずんば、将に斧柯を用いんとす』と。前に慮り未だ定まらずして、後に大患有り。将た之を奈何せん。大王、誠に能く臣に聴かば、六国従親し、心を専らにし力を并せば、則ち必ず強秦の患い無からん。故に敝邑の趙王、臣をして愚計を効し、明約を奉ぜしむ。大王の之を詔するに在り」と。魏王曰く「謹みて教えを奉ぜん」と。
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史記 蘇秦列伝又魏の襄王に説きて曰く、「大王の地は方千里。地名は小なりと雖も、然れども田舎廬廡の数、曾て芻牧する所無し。臣聞く、越王句踐は敝卒三千人を戦はせて夫差を干遂に禽にす。武王は卒三千人、革車三百乗、紂を牧野に制す。豈に其の士卒衆きや、誠に能く其の威を奮へばなり。今竊かに大王の卒を聞くに、武士二十万、蒼頭二十万、奮撃二十万、廝徒十万、車六百乗、騎五千匹。此れ其の越王句踐・武王に過ぐること遠し。今乃ち群臣の説を聴きて秦に臣事せんと欲す。臣故に願はくは大王孰々之を察せよ」と。魏王曰く、「寡人不肖にして、未だ嘗て明教を聞くを得ず。今主君趙王の詔を以て之を詔す、敬みて国を以て従はん」と。
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『長短経』七雄略「魏の地は方千里に至らず、卒は三十万に過ぎず。地は四平にして、諸侯四通し、条達輻湊す。名山大川の限り無し。鄭より梁に至るまで、二百余里。車馳せ人走らば、倦むを待たずして至らん。梁は、南は楚と境し、西は韓と境し、北は趙と境し、東は斉と境す。卒、四方を戍り、亭障を守る者は十万を下らず。梁の地勢は、固より戦場なり。〈大梁は、今の汴州、是なり。〉
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『長短経』七雄略何を以て其の然るを知るや。昔、魏王、兵を千里に擁し、帯甲三十万、十二諸侯を従えて天子に朝し、以て西のかた秦を謀る。秦恐れ、寝ぬるに席安からず、食らうに味甘からず。衛鞅、秦王に謀りて曰く「王、何ぞ臣をして魏王に見えしめざる。則ち臣、必ず魏を北がしめんことを請う」と。秦王許諾す。衛鞅、魏王に見えて曰く「大王の功は大なり。令は天下に行わる。従う所の十二諸侯は、宋・衛に非ずんば則ち鄒・魯・陳・蔡なり。此れ固より大王の鞭箠して使う所なり。以て天下に王たるに足らず。北のかた燕を取り、東のかた斉を伐たば、則ち趙必ず従わん。西のかた秦を取り、南のかた楚を伐たば、則ち韓必ず従わん、に若かず。大王に斉・楚を伐つの心有りて、天下の志に従わば、則ち王業見れん。大王、先ず王服を行いて、然る後に斉・楚を図るに如かず」と。
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戦国策・蘇子為趙合從說魏王蘇子、趙の為に合従し、魏王に説いて曰わく、「大王の埊(ち)、南に鴻溝・陳・汝南有り、許・鄢・昆陽・邵陵・舞陽・新郪有り。東に淮・穎・沂・黄・煮棗・海塩・無疏有り。西に長城の界有り。北に河外・卷・衍・燕・酸棗有り、埊方千里なり。埊名は小なりと雖も、然れども廬田廡舎、曾て牛馬を芻牧する所の地無し。人民の衆きこと、車馬の多きこと、日夜行きて休まざるも、三軍の衆と異なる無し。臣竊かに之を料るに、大王の国、楚に下らず。然れども横人王に謀り、外に虎狼の秦に交わり、以て天下を侵し、卒に国患有るも、其の禍いを被らず。夫れ強秦の勢いを挟みて、以て内に其の主を劫かす、罪此れより過ぐる者無し。且つ魏は、天下の強国なり。大王は、天下の賢主なり。今乃ち意有りて西面して秦に事え、東藩と称し、帝宮を築き、冠帯を受け、春秋に祠り、臣竊かに大王の為に之を媿(は)ず。「臣聞く、越王勾践散卒三千を以て、夫差を干遂に禽にし、武王卒三千人、革車三百乘にて、紂を牧の野に斬れりと。豈に其の士卒衆かりしや。誠に能く其の威を振るえばなり。今竊かに聞く、大王の卒、武力二十余万、蒼頭二千万、奮撃二十万、廝徒十万、車六百乗、騎五千疋。此れ其れ越王勾践・武王に過ぐること遠し。今乃ち辟臣の説に劫かされて、秦に臣事せんと欲す。夫れ秦に事うれば必ず地を割きて質を効(いた)す、故に兵未だ用いざるに国已に虧く。凡そ群臣の秦に事うるを言う者は、皆姦臣にして、忠臣に非ざるなり。夫れ人臣為りて、其の主の埊を割きて以て外交を求め、一旦の功を偸取(とうしゅ)して其の後を顧みず、公家を破りて私門を成し、外に彊秦の勢いを挟みて以て内に其の主を劫かし以て埊を割かんことを求む、願わくは大王の熟(つらつ)ら之を察せんことを。「周書に曰わく、『綿綿として絶えず、縵縵(まんまん)たること柰何せん。毫毛抜かざれば、将に斧柯(ふか)を成さんとす』と。前慮定まらざれば、後に大患有り、将に之を柰何せん。大王誠に能く臣に聴き、六国従親して、心を専らにし力を并せば、則ち必ず強秦の患い無からん。故に敝邑の趙王臣を使わして愚計を献じ、明約を奉ぜしむ、大王の之を詔(みことのり)するに在り。」魏王曰わく、「寡人不肖にして、未だ嘗て明教を聞くを得ず。今主君趙王の詔を以て之に詔す、敬んで国を以て従わん。」
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『長短経』七雄略威王に説きて曰く「楚は、天下の強国なり。王は、天下の賢主なり。西に黔中・巫郡有り、東に夏州・海陽有り、南に洞庭・蒼梧有り、北に陘塞・郇陽有り。地は方五千余里、帯甲百万、車千乗、騎万匹、粟は十年を支う。此れ覇王の資なり。夫れ楚の強きと、大王の賢を以てすれば、天下、能く当たる莫し。今、乃ち西面して秦に事えば、則ち諸侯、西面して章台の下に朝せざる莫からん。秦の害する所、楚に如くは莫し。楚強ければ則ち秦弱く、秦強ければ則ち楚弱し。其の勢い両立せず。故に大王の為に計るに、従親して以て秦を孤にするに如くは莫し。大王、従親せずんば、秦、必ず両軍を起こさん。一軍は武関を出で、一軍は黔中に下らん。則ち鄢郢動かん。臣聞く、其の未だ乱れざるに之を治め、其の未だ有らざるに之を為す、と。患い至りて後に之を憂うれば、則ち及ぶ無きなり。故に願わくは大王、早く熟ら之を計れ。