長短経 / 覇図
安都背叛、竊據徐方、敢率犬羊、凌虚淮浦。索兒愚悖、同惡相濟、天柞無象、背順歸逆、北鄙黔黎、奄墜塗炭。公受命宗祊精貫朝日、擁節軍門、氣踰霄漢、破釡之捷、斬馘蔽野、石梁之戰、梟其渠帥、保境全人、江陽即序、此又公之功也。
新字:安都背叛、窃拠徐方、敢率犬羊、凌虚淮浦。索児愚悖、同悪相済、天柞無象、背順帰逆、北鄙黔黎、奄墜塗炭。公受命宗祊精貫朝日、擁節軍門、気踰霄漢、破釡之捷、斬馘蔽野、石梁之戦、梟其渠帥、保境全人、江陽即序、此又公之功也。
書き下し
安都、背叛し、竊かに徐方に拠り、敢えて犬羊を率いて、淮浦に凌虚す。索児、愚悖にして、悪を同じくして相い済す。天祚、象無く、順に背き逆に帰す。北鄙の黔黎、奄かに塗炭に墜つ。公、命を宗祊に受け、精は朝日を貫き、節を軍門に擁し、気は霄漢を踰ゆ。破釜の捷、斬馘は野を蔽う。石梁の戦い、其の渠帥を梟す。境を保ち人を全くし、江陽即ち序す。此れ又た公の功なり。
現代語訳
薛安都が背き、ひそかに徐州に拠って、あえて雑兵を率いて淮水のほとりを荒らした。薛索児は愚かで道理に背き、悪を同じくして互いに助け合った。天の祚は兆しもなく、順に背いて逆に帰した。北辺の民はにわかに塗炭に落ちた。公は宗廟で命を受け、精神は朝日を貫き、節を軍門に掲げ、気概は天空を越えた。破釜の勝利では、斬った首が野を覆った。石梁の戦いでは、その頭領を梟首した。境を保ち民を全うし、江陽は秩序を取り戻した。これもまた公の功である。
解説
功績の列挙が続きます。叛いた者の名を挙げ、被害を述べ、駆けつけた様子を書き、勝った場所を二つ挙げ、結果として何が守られたかで締める。一つの功につき、この型が繰り返されます。功績を記録するときの様式として完成しており、後の時代の叙勲文書もほぼ同じ構成です。何を守ったかで締めるところが要点でしょう。勝った回数ではなく、守れたものを書くほうが伝わります。
この章句が説くこと
覇図蕭道成薛安都九錫功績記録
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