長短経 / 覇図
用臣之計、無戰而畧地、不攻而下城、傳檄而千里可定、矣彼將曰、『何謂也?』臣因説曰、『范陽令宜整頓其士卒、以守戰者也。怯而畏死、貪而好富者故欲以其城先下君、先下君而不利、則邉地之城皆将相告曰、范陽令先降而身死。必將嬰城固守、皆若金城湯池、不可攻矣。為君計者、莫如以黄屋珠輪迎范陽令、使馳騖於燕趙之郊、則邉城皆將相告曰、范陽令先下而身冨貴矣。必相率而降、猶如阪上走丸也。』此臣之所謂傳檄而千里定者也。」徐公再拜、具車馬遣通。通遂以此説武臣。武臣以車百乘、騎二百、侯印、迎徐公。燕趙聞之、降者三十餘城、如蒯通䇿也。、〕
新字:用臣之計、無戦而略地、不攻而下城、伝檄而千里可定、矣彼将曰、『何謂也?』臣因説曰、『范陽令宜整頓其士卒、以守戦者也。怯而畏死、貪而好富者故欲以其城先下君、先下君而不利、則邉地之城皆将相告曰、范陽令先降而身死。必将嬰城固守、皆若金城湯池、不可攻矣。為君計者、莫如以黄屋珠輪迎范陽令、使馳騖於燕趙之郊、則邉城皆将相告曰、范陽令先下而身冨貴矣。必相率而降、猶如阪上走丸也。』此臣之所謂伝檄而千里定者也。」徐公再拝、具車馬遣通。通遂以此説武臣。武臣以車百乗、騎二百、侯印、迎徐公。燕趙聞之、降者三十余城、如蒯通策也。、〕
書き下し
臣の計を用いば、戦わずして地を略し、攻めずして城を下し、檄を伝えて千里定む可し』と。彼将に曰わんとす『何の謂いぞや』と。臣因りて説きて曰く『范陽の令は、宜しく其の士卒を整頓して、以て守り戦う者なるべし。怯にして死を畏れ、貪にして富を好む者なり。故に其の城を以て先ず君に下らんと欲す。先ず君に下りて利あらずんば、則ち辺地の城は皆な将に相い告げて曰わんとす、范陽の令は先に降りて身死せりと。必ず将に城に嬰りて固く守らんとし、皆な金城湯池の若く、攻む可からざらん。君の為に計る者は、黄屋珠輪を以て范陽の令を迎え、燕・趙の郊に馳騖せしむるに如くは莫し。則ち辺城は皆な将に相い告げて曰わんとす、范陽の令は先に下りて身富貴なりと。必ず相い率いて降らん。猶お阪上に丸を走らすがごとし』と。此れ臣の所謂檄を伝えて千里定まる者なり」と。徐公再拝し、車馬を具えて通を遣る。通、遂に此を以て武臣に説く。武臣、車百乗・騎二百・侯印を以て、徐公を迎う。燕・趙、之を聞き、降る者三十余城。蒯通の策の如きなり。〉
現代語訳
私の計を用いれば、戦わずに土地を取り、攻めずに城を落とし、檄文を伝えるだけで千里を定められます』。彼は『どういうことか』と言うでしょう。そこで私は説きます。『范陽の県令は、本来なら兵を整えて守り戦う立場です。しかし臆病で死を恐れ、欲深くて富を好む者だ。だから城ごとまず君に降ろうとしている。ところが先に降ったのに得がなければ、辺境の城はみな互いに伝えるでしょう。范陽の令は先に降って殺されたと。必ず城に籠もって固く守り、みな鉄壁となって攻められなくなる。君のために計るなら、黄色い車蓋と珠飾りの車輪で范陽の令を迎え、燕と趙の郊外を走り回らせるに越したことはない。そうすれば辺境の城はみな伝えるでしょう。范陽の令は先に降って富貴になったと。必ず連れ立って降ります。坂の上から丸い玉を転がすようなものです』。これが私のいう、檄文を伝えて千里が定まるということです」。徐公は再拝し、車馬を用意して蒯通を送り出した。蒯通はこれで武臣に説いた。武臣は車百台、騎兵二百、諸侯の印を持って徐公を迎えた。燕と趙はこれを聞き、降った城は三十余り。蒯通の策のとおりになった。〉
解説

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