長短経 / 七雄略
今足下居則廣厦高堂、連闥洞房、羅帷、來清風、倡優在前、諂䛕在側、揚激楚、舞鄭妾、流聲以娛耳、綵色以淫目、水嬉則舫龍舟、建羽旗鼓、釣乎不測之淵也。野逰則登乎平原、馳廣囿、强弩下高鳥、勇士格猛獸、置酒設樂、沉醉忘歸。方此之時、視天地曾不若一指、雖有善鼓琴、不能動足下也。」孟嘗君曰、「固然。」
新字:今足下居則広厦高堂、連闥洞房、羅帷、来清風、倡優在前、諂䛕在側、揚激楚、舞鄭妾、流声以娛耳、綵色以淫目、水嬉則舫竜舟、建羽旗鼓、釣乎不測之淵也。野遊則登乎平原、馳広囿、強弩下高鳥、勇士格猛獣、置酒設楽、沈酔忘帰。方此之時、視天地曽不若一指、雖有善鼓琴、不能動足下也。」孟嘗君曰、「固然。」
書き下し
今、足下は居れば則ち広厦高堂、闥を連ね房に洞し、羅帷、清風を来たす。倡優は前に在り、諂諛は側に在り。激楚を揚げ、鄭妾を舞わしめ、声を流して以て耳を娯しませ、綵色もて以て目を淫す。水嬉すれば則ち龍舟を舫べ、羽旗鼓を建て、不測の淵に釣る。野遊すれば則ち平原に登り、広囿を馳せ、強弩もて高鳥を下し、勇士もて猛獣を格し、酒を置き楽を設け、沈酔して帰るを忘る。此の時に方りて、天地を視ること曽て一指に若かず。善く琴を鼓する有りと雖も、足下を動かす能わざるなり」と。孟嘗君曰く「固より然り」と。
現代語訳
いまあなたは、家にいれば広い建物と高い堂、扉を連ね奥の部屋まで続き、薄絹の帳が清らかな風を通す。芸人が前におり、へつらう者が脇にいる。激しい楚の曲を奏で、鄭の女を舞わせ、声を流して耳を楽しませ、彩りで目をくらませる。水遊びをすれば龍の舟を並べ、羽の旗と鼓を立て、測れぬ淵で釣りをする。野に遊べば平原に登り、広い狩り場を駆け、強い弩で高い鳥を落とし、勇士に猛獣を組み伏せさせ、酒を置き楽を設け、酔いつぶれて帰るのを忘れる。このとき天地を見ても指一本ほどにも思わない。琴の名手がいても、あなたを動かすことはできません」。孟嘗君は「もっともだ」と言った。
解説
満ち足りている人には音楽が届かない、と雍門周は正直に言います。そして孟嘗君の日常を克明に描く。広い屋敷、芸人、龍の舟、狩り。そのとき天地さえ指一本ほどにしか見えない。幸福の絶頂にいる人が、いちばん何も感じない状態にいるという指摘です。孟嘗君自身もそれを認めました。届かないと正直に言ったことが、次の一言の前振りになっています。
この章句が説くこと
七雄略雍門周孟嘗君満足感受性日常
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『長短経』七雄略雍門周曰く「臣、竊かに足下の為に常に悲しむ所有り。夫れ帝に角して秦を困しめし者は、君なり。五国を連ねて楚を伐ちし者も、又た君なり。天下、未だ嘗て事無からず。縦ならずんば即ち衡なり。縦成れば則ち楚王たり、衡成れば則ち秦帝たり。夫れ秦・楚の強きを以て、弱薛に報ゆるは、猶お蕭斧を磨きて朝菌を伐つがごときなり。有識の士、足下の為に寒心せざるは莫し。天道は常には盛んならず、寒暑は更々進退す。千秋万歳の後、宗廟必ずしも血食せず。高台は既に已に傾き、曲池は又た已に平らかならん。墳墓に荊棘を生じ、狐狸、其の中に穴す。遊児・牧竪、其の足を蹢躅して其の上に歌いて曰わん、夫れ孟嘗君の尊貴を以てするも、亦た猶お是くの若きかと」と。是に於て孟嘗君、喟然として太息し、涕、睫に垂れて交々下る。雍門周、琴を引きて之を弾ず。孟嘗君、遂に歔欷して之に就きて曰く「先生の琴を鼓するは、文をして亡国の人の若くならしむ」と。〉
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『長短経』七雄略昔、雍門周、琴を以て斉の孟嘗君に見ゆ。孟嘗君曰く「先生の琴を鼓するは、亦た能く人をして悲しましむるか」と。対えて曰く「臣の能く悲しましむる所の者は、先に貴くして後に賤しく、昔は富みて今は貧しく、窮巷に擯圧せられ、四隣に及ばざる者なり。身材高妙にして、質を懐き真を抱くも、讒に逢い謗に離り、怨み結ぼれて伸ぶるを得ざる者に若かず。歓を交え愛を結び、怨み無くして生きながら離れ、遠く他国に赴きて、相い見ゆる期無き者に若かず。幼くして父母無く、壮にして妻児無く、出でては野沢を以て都と為し、入りては窟穴を用て家と為し、朝夕に困しみ、假貸する所無き者に若かず。此くの若き人は、但だ鶵鳥の号、秋風の条を鳴らすを聞けば、則ち心を傷ましむ。臣、一たび之が為に琴を援きて長太息すれば、未だ悽惻して涕泣せざる者有らざるなり。
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説苑・善說雍門子周琴を以て孟嘗君に見ゆ。孟嘗君曰く、「先生琴を鼓するも亦た能く文をして悲しましむるか。」雍門子周曰く、「臣何ぞ獨り能く足下をして悲しましめんや。臣の能く悲しましむる所の者は、先に貴くして後に賤しく、先に富みて後に貧しき者有るなり。身材高妙にして、適々暴亂無道の主に遭い、妄りに不道の理を加えらるるに若かず。勢い隱絕に處り、四鄰に及ばず、詘折儐厭して窮巷に襲われ、告愬する所無きに若かず。交歡相愛して怨無くして生離し、遠く絕國に赴きて、復た相見るの時無きに若かず。少くして二親を失い、兄弟別離し、家室足らず、憂蹙盈つに若かず。是の時に當りては、固より飛鳥疾風の聲を聞くべからず、窮窮焉として固より樂しみ已む無し。凡そ是くの若き者は、臣一たび之が爲に徽膠して琴を援き長太息すれば、則ち流涕衿を沾さん。今足下の若きは千乘の君なり。居れば則ち廣廈邃房、羅帷を下し、清風を來し、倡優侏儒前に處りて選進して諂諛す。燕すれば則ち象棋を鬥わし鄭女を舞わせ、激楚の切風、色を練りて目を淫し、聲を流して耳を虞ましむ。水に遊べば則ち方舟を連ね、羽旗を載せ、鼓吹して測られざるの淵にす。野に遊べば則ち馳騁弋獵して平原廣囿にし、猛獸を格つ。入れば則ち鍾を撞き鼓を擊ちて深宮の中にす。此の時に方りては、天地を視ること曾て一指の若からず、死と生とを忘る。善く琴を鼓す者有りと雖も、固より未だ能く足下をして悲しましめざるなり。」孟嘗君曰く、「否否、文固より以て然らずと爲す。」雍門子周曰く、「然れども臣の足下の爲に悲しむ所の者は一事なり。夫れ聲帝に敵し秦を困しむる者は君なり。五國の約を連ね、南面して楚を伐つ者も又た君なり。天下未だ嘗て事無きにあらず、從せずんば則ち橫し、從成れば則ち楚王たり、橫成れば則ち秦帝たり。楚王秦帝は、必ず讎を薛に報いん。夫れ秦楚の彊きを以て讎を弱薛に報いんこと、之を譽うれば猶お蕭斧を摩して朝菌を伐つがごとし、必ず行を留めじ。天下識有るの士、足下の爲に寒心酸鼻せざる無き者なり。千秋萬歲の後、廟堂必ず血食せざらん。高臺既に以て壞れ、曲池既に以て漸り、墳墓既に以て下りて青廷とならん。嬰兒豎子樵採薪蕘する者、其の足を蹢躅して其の上に歌う。眾人之を見て、愀焉として足下の爲に之を悲しまざる無く曰く、『夫れ孟嘗君の尊貴を以て乃ち此くの若からしむべけんや。』」是に於て孟嘗君泫然として泣涕す。承睫にして未だ殞ちず。雍門子周琴を引きて之を鼓す。徐に宮徵を動かし、微かに羽角を揮い、切終りて曲を成す。孟嘗君涕浪汗として增し、欷きて之に就きて曰く、「先生の琴を鼓するは、文をして破國亡邑の人の若く立たしむ。」
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『長短経』七雄略蜻蛉は其の小なる者なり。黄雀も是に因りて以てす。俯して白粒を啄み、仰いで茂樹に棲み、翅を鼓し翼を奮い、自ら以為えらく患い無し、人と争う無しと。知らず、夫の公子王孫、左に弾を挟み、右に丸を摂り、其の類を以て招と為し、昼は茂樹に棲むも、夕べには酸醎に調えらるるを。黄雀は其の小なる者なり。蔡の霊侯も是に因りて以てす。南は高陂に遊び、北は巫山を陵ぎ、茹渓の流れを飲み、湘波の魚を食らい、左に幼妾を枕し、右に嬖女を擁し、之と高蔡の中に馳騁して、国家を以て事と為さず。知らず、夫の子発、方に令を霊王に受け、已を朱糸を以て繫ぎて之に見えしむるを。蔡の霊侯の事は其の小なる者なり。君王も是に因りて以てす。左に州侯、右に夏侯、封禄の粟を飯らい、方府の金を載せ、之と雲夢の中に馳騁して、天下国家を以て事と為さず。知らず、夫の穣侯、方に命を秦王に受け、澠塞の内を填め、己を澠塞の外に投ぜんとするを」と。襄王、之を聞き、身体戦慄す。乃ち珪を執りて荘辛に授け、之と秦を謀り、復た淮北の地を取る。
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『長短経』七雄略〈蘇秦、閔王に説きて曰く「臣聞く、兵を用いて人に先んずるを喜ぶ者は憂い、結を約して怨みを主るを喜ぶ者は孤なり。夫れ後れて起こる者は、藉なり。而して怨みを遠ざくる者は、時なり。故に語に曰く『騏驥の衰うるや、駑馬之に先んず。孟賁の倦むや、女子之に勝つ』と。夫れ駑馬・女子の筋骨の力の勁きは、騏驥・孟賁より賢れるに非ざるなり。何となれば、後れて起こるの藉なり。臣聞く、戦攻の道は、師に非ざる者、百万の軍有りと雖も、之を堂上に北がしめ、闔閭・呉起の将有りと雖も、之を戸内に擒にし、千丈の城、之を樽俎の間に抜き、百尺の衝、之を席上に折る、と。故に鐘鼓竽瑟の音絶えずして、地は広む可く欲は成る可し。和楽倡優の笑い乏しからずして、諸侯は日を同じくして致す可し。故に夫れ善く王業を為す者は、天下を労して自ら佚し、天下を乱して自ら安んずるに在り。諸侯に成謀無ければ、則ち国に宿憂無きなり。
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『長短経』七雄略蘇秦、斉に如く。〈斉の太公望呂尚なる者は、周に事え、文・武の師と為り、紂を伐つを謀る。武王、已に商を平らげ、尚父を斉の営丘に封ずるなり。〉斉の宣王に説きて曰く「斉は南に泰山有り、東に琅邪有り、西に清河有り、北に勃海有り。此れ四塞の国なり。臨淄は甚だ富みて実つ。其の民、竽を吹き瑟を鼓し琴を弾き筑を撃ち、闘鶏・走狗・六博・蹴踘せざる者無きなり。臨淄の途、車轂撃ち、人肩摩る。袵を連ねて帷を成し、袂を挙げて幕を成し、汗を揮いて雨を成す。家は殷んに人は足り、志は高く気は揚がる。夫れ大王の賢と、斉の強きを以てすれば、天下、能く当たる莫し。今、乃ち西面して秦に事う。竊かに大王の為に之を羞ず。