長短経 / 懼戒
〔初、楚共王無冢嫡。冇寵子五人、無適立焉。乃大有事于羣望、而祈曰、「請神擇于五人者、使主社稷。」乃徧以璧見于羣望曰、「當璧而拜者、神所立也。」乃宻埋璧于太室之庭、使五人齊、而長幼入拜。康王跨之、靈王肘加焉、子干子晳皆逺之。平王弱、抱而入、再拜、皆壓紐。平王即棄疾也。〕
新字:〔初、楚共王無冢嫡。冇寵子五人、無適立焉。乃大有事于羣望、而祈曰、「請神択于五人者、使主社稷。」乃遍以璧見于羣望曰、「当璧而拝者、神所立也。」乃密埋璧于太室之庭、使五人斉、而長幼入拝。康王跨之、霊王肘加焉、子干子晳皆遠之。平王弱、抱而入、再拝、皆圧紐。平王即棄疾也。〕
書き下し
〔初め、楚の共王に冢嫡無し。寵子五人有り、適立する無し。乃ち大いに群望に事有りて、祈りて曰く「請う、神、五人の者を択びて、社稷を主らしめよ」と。乃ち徧く璧を以て群望に見えて曰く「璧に当たりて拝する者は、神の立つる所なり」と。乃ち密かに璧を太室の庭に埋め、五人をして斉せしめ、長幼を以て入りて拝せしむ。康王は之を跨ぎ、霊王は肘を焉に加え、子干・子晳は皆之に遠し。平王は弱く、抱かれて入り、再拝して、皆紐を圧す。平王は即ち棄疾なり。〕
現代語訳
〔はじめ楚の共王には正妻の長子がいなかった。寵愛する子が五人いたが、誰を立てるか決めていなかった。そこで山川の神々を盛大に祀り、「どうか神よ、五人の中から社稷を主る者を選んでください」と祈った。そして璧を神々に示して「璧の上に当たって拝む者が、神の立てる者である」と言い、ひそかに璧を祖廟の庭に埋め、五人に身を清めさせ、年の順に入って拝ませた。康王は璧をまたいでしまい、霊王は肘が璧の上にかかり、子干と子晳はどちらも遠く離れていた。平王はまだ幼く、抱かれて入って二度拝み、二度とも璧の紐の上を押さえた。平王とは棄疾である。〕
解説
後継者を決められなかった共王は、埋めた璧の上で拝んだ者を神の選んだ者とする、という占いに頼りました。偶然にも幼い棄疾が二度とも璧の真上で拝んだ。この話が、叔向の言う神に選ばれた、の中身です。現代から見れば偶然ですが、人々がそれを信じたことが棄疾の正統性の一部になった。自分で決めきれない決断を占いに委ねると、その結果が後々まで争いの種にも根拠にもなるのです。
この章句が説くこと
懼戒共王棄疾後継者占い正統性
関連する章句
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『長短経』懼戒楚国を有つ者は、其れ棄疾か。陳・蔡に君たり、城外属す〔城は方城なり。時に穿封戍既に死し、棄疾并せて陳の事を領す〕。苛慝作らず、盗賊伏隠し、私欲違わず、民に怨心無し。先神之に命じ、国人之を信ず。芊姓に乱有れば、必ず季実に立つ。楚の常なり。神を獲たる、一なり〔璧に当たりて拝するなり〕。民有る、二なり〔人之を信ずるなり〕。命徳ある、三なり〔苛慝無きなり〕。寵貴、四なり〔貴妃の子なり〕。常に居る、五なり〔棄疾は季なり〕。五利有りて以て五難を去る。誰か能く之を害せん。子干の官は、則ち右尹なり。其の貴寵を数うれば、則ち庶子なり。神の命ずる所を以てすれば、則ち又た之に遠し。其の貴は亡び、其の寵は棄てらる〔父既に歿す〕。民懐く無く〔令徳に非ざるなり〕、国与する無し〔内主無きなり〕。将に何を以て立たん」と。
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『長短経』懼戒楚の共王薨じ、子の霊王位に即く。群公子、群喪職の族に因りて、霊王を殺して子干を立つ。立ちて未だ定まらざるに、弟の棄疾又た子干を殺して自立す。〔棄疾は平王なり。五人は皆共王の子なり。〕初め、子干の入るや、韓宣子、叔向に問いて曰く「子干其れ済らんか」と。対えて曰く「難し」と。宣子曰く「悪を同じくして相求むること、市賈の如し。何ぞ難からん」と。対えて曰く「与に好を同じくする無くんば、誰か与に悪を同じくせん。国を取るに五難有り。寵有りて人無き、一なり〔寵は賢人を須ちて固し〕。人有りて主無き、二なり〔賢人有りと雖も、当に内主の応と為るを須つべし〕。主有りて謀無き、三なり〔謀は策謀なり〕。謀有りて民無き、四なり〔民は衆なり〕。民有りて徳無き、五なり〔四者既に備わらば、当に徳を以て成すべし〕。
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『長短経』懼戒子干は晋に在ること十三年なり。晋・楚の従、達者を聞かず。人無しと謂うべし。族尽き親叛く。主無しと謂うべし〔親族の楚に在る無し〕。釁無くして動く。謀無しと謂うべし〔子干を召す時、楚未だ大釁有らず〕。羈と為りて世を終う。民無しと謂うべし〔終身羈客として晋に在り、是れ民無しと謂う〕。亡びて愛徴無し。徳無しと謂うべし〔楚人に之を愛念する者無し〕。王は虐にして忌まず〔霊王は暴虐にして畏忌する所無く、将に自ら亡びんとす〕。楚君子干、五難を渉りて以て旧君を殺す。誰か能く之を済さん。
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『長短経』懼戒我が先君文公は、狐季姫の子なり。献公に寵有り。学を好みて弐ならず、生まれて十七年にして、士五人有り〔狐偃・趙衰・顛頡・魏武子・司空季子、五士の従い出づる者なり〕。先大夫子餘・子犯有りて以て腹心と為し〔子餘は趙衰、子犯は狐偃〕、魏犨・賈佗有りて以て股肱と為し、斉・宋・秦・楚有りて以て外主と為し〔斉は妻わすに女を以てし、宋は贈るに馬を以てし、楚王は之を饗し、秦伯は之を納る〕、欒・郤・狐・先有りて以て内主と為す〔欒枝・郤縠・狐突・先軫を謂うなり〕。亡ぶること十九年、志を守ること弥々篤し。恵・懐は民を棄て、従いて之に与す。献に異親無く、民に異望無し〔献公の子九人、惟だ文公のみ在り〕。天方に晋を相く。将に何を以て之に代わらん。此の二君は、子干に異なり。共に寵子有り、国に奥主有り〔棄疾を謂うなり〕。子干は民に施す無く、外に援無し。晋を去るも晋送らず、楚に帰るも楚迎えず。何を以て国を冀わん」と。子干果たして終えず、卒に棄疾を立つること、叔向の言の如し。
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『長短経』懼戒〔議に曰く、劉向称す「人君は安からんことを欲せざるは莫し。然れども常に危うし。存せんことを欲せざるは莫し。然れども常に亡ぶ。臣を御するの術を失えばなり。夫れ人臣権柄を操り、国政を持して、未だ害を為さざる者有らざるなり。昔、晋に六卿有り、斉に田・崔有り、衛に孫・甯有り、魯に季・孟有り、常に国事を掌り、世々朝柄を執る。終に復た、田氏は斉を取り、六卿は晋を分かち、崔杼は其の君光を弑し、孫林父・甯殖は其の君衎を出だし、其の君剽を弑す。季氏は八佾もて庭に舞い、三家は雍を以て徹す。並びに国政を専らにし、卒に昭公を逐う。皆陰勝りて陽微、下臣道を失うの致す所なり」と。
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