長短経 / 臣行
或曰、“宗慤之賤也、見輕庾業。及其貴也、請業長史、何如?”裴子野曰、“夫貧而無戚、賤而無悶、恬夫天素、𢎞此大猷、曽原之徳也。降志辱身、俛眉折脊、忍屈庸曹之下、貴騁羣雄之上、韓、黥之志也。卑身之事則同、居卑之情已異。若宗元幹無怍於草具、有韓、黥之度矣。終棄舊惡、長者哉!”〔宋宗慤之賤也、州人庾業豐富、待客必方丈。其為慤設、則粟飯、慤亦致飽。及為豫州、請業為長史也。〕
新字:或曰、“宗慤之賤也、見軽庾業。及其貴也、請業長史、何如?”裴子野曰、“夫貧而無戚、賤而無悶、恬夫天素、弘此大猷、曽原之徳也。降志辱身、俛眉折脊、忍屈庸曹之下、貴騁羣雄之上、韓、黥之志也。卑身之事則同、居卑之情已異。若宗元幹無怍於草具、有韓、黥之度矣。終棄旧悪、長者哉!”〔宋宗慤之賤也、州人庾業豊富、待客必方丈。其為慤設、則粟飯、慤亦致飽。及為予州、請業為長史也。〕
書き下し
或るひと曰く「宗慤の賤しきや、庾業に軽んぜらる。其の貴きに及び、業を長史に請う。何如」と。裴子野曰く「夫れ貧にして戚しむ無く、賤にして悶ゆる無く、天素に恬んじ、此の大猷を弘むるは、曽・原の徳なり。志を降し身を辱め、眉を俛せ脊を折り、庸曹の下に屈するを忍び、貴くして群雄の上に騁するは、韓・黥の志なり。身を卑しくするの事は則ち同じくして、卑に居るの情は已に異なる。宗元幹の若きは草具に怍ずること無し。韓・黥の度有り。終に旧悪を棄つ。長者なるかな」と。〔宋の宗慤の賤しきや、州人庾業は豊富にして、客を待つに必ず方丈なり。其の慤の為に設くるは、則ち粟飯なり。慤も亦た飽くを致す。豫州と為るに及び、業を請いて長史と為すなり。〕
現代語訳
ある人が言った。「宗慤が身分の低かったころ、庾業に軽んじられました。その宗慤が貴くなってから、庾業を長史に招きました。これをどう見ますか」。裴子野は言った。「貧しくても悲しまず、賤しくても悶えず、生まれつきのままに安んじて、この大きな道を広めるのは、曽子や原憲の徳である。志を下げ身を辱め、眉を伏せ背を折り、凡庸な連中の下に屈するのを忍んで、貴くなってから群雄の上に馳せるのは、韓信や黥布の志である。身を低くすることは同じでも、低いところにいるときの心持ちはまったく違う。宗慤の場合は粗末な食事を出されても恥じなかった。韓信や黥布の度量がある。最後には昔の恨みを捨てた。長者というべきである」。〔宋の宗慤が身分の低かったころ、州の人である庾業は裕福で、客をもてなすときは必ず一丈四方の料理を並べた。それが宗慤のためには粟飯だけだった。宗慤もまた腹いっぱい食べた。のちに豫州刺史となると、庾業を招いて長史とした。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・量は六合の隘きを嫌ふ量は六合の隘きを嫌ひ、身は五岳を負ふも輕し。
-
『十善法語』巻第六・不惡口戒愚ナル者ハ。謹慎ハ窮窟ナルヤウニ思ヒ。放逸ハ安楽ナルヤウニ思フ。サウデナイ。誠ノ楽ハ謹慎篤実ノ上ニ在テ。燕安放逸ノ処ニハナイ。愚ナル者ハ。謹慎篤実ナレハ不器量ナル様ニ思ヒ。倨傲大胆ナレハ一器量アル様ニ思フ。サウテナイ。誠ノ度量ハ謹慎篤実ノ上ニ在テ。倨傲大胆ノ処ニハナキシヤ。古稽叔夜カ鍾会ヲ侮テ。後其身刑セラル。其養生論閑言語トナル。知伯カ韓魏ヲ侮テ。終ニ身ヲ亡シ国ヲ亡ス。其强土堅甲ミナ敵ノ資トナル。稽叔夜カ自ラ才ヲ負ミ。知伯カ自ラ威名ニ夸ル。実ヲ剋スレハ。ミナ其量ノ狭小ナルヨリ起ル。耻ヘキコトシヤ。
-
『呻吟語』内篇・應務・一葉の滄海に泛ぶが如し聖賢の量は空闊なり。事の胸中に到るは一葉の滄海に泛ぶが如し。
-
『呻吟語』内篇・應務・度量寬弘なれば受用の處有り世間に一處として拂意の事無きは無く、一日として拂意の事無きは無し。椎だ度量寬弘なれば受用の處有り。彼の局量褊淺なる者は空しく自ら懊恨するのみ。
-
説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
-
説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。