長短経 / 覇図
五月戊子天子侑遜位於别宫、禪位於唐、都長安〔大業末、謡曰、「桃李子、洪水逺、楊山宛在花園裏。」李、唐姓也、洪水者、唐王諱也、楊、隋姓也、花者、葉不實也、園、囿也、代王名侑、與囿音同。言揚侑雖為帝、終於歴數有歸、唐王當踐其位也。〕己巳、王世充、段達等立越王侗為皇帝於洛陽。
新字:五月戊子天子侑遜位於別宮、禅位於唐、都長安〔大業末、謡曰、「桃李子、洪水遠、楊山宛在花園裏。」李、唐姓也、洪水者、唐王諱也、楊、隋姓也、花者、葉不実也、園、囿也、代王名侑、与囿音同。言揚侑雖為帝、終於歴数有帰、唐王当践其位也。〕己巳、王世充、段達等立越王侗為皇帝於洛陽。
書き下し
五月戊子、天子侑、位を別宮に遜り、位を唐に禅る。長安に都す。〈大業の末、謡に曰く「桃李子、洪水遠し、楊山宛として花園の裏に在り」と。李は、唐の姓なり。洪水なる者は、唐王の諱なり。楊は、隋の姓なり。花なる者は、葉ありて実らざるなり。園は、囿なり。代王の名は侑、囿と音を同じくす。言うこころは、楊侑、帝と為ると雖も、終に暦数に帰する有り、唐王、当に其の位を践むべし、と。〉己巳、王世充・段達等、越王侗を立てて皇帝と為す、洛陽に於て。
現代語訳
五月戊子、天子の侑は位を別宮で退き、位を唐に禅った。長安に都した。〈大業の末、こういう歌が流行った。「桃李子、洪水は遠い、楊の山はさながら花園の中にある」。李は唐の姓である。洪水とは唐王の諱である。楊は隋の姓である。花とは葉はあるが実らないこと。園は囿である。代王の名は侑で、囿と音が同じ。つまり、楊侑が帝になっても、最後は暦数が帰する先があり、唐王がその位を踏むことになる、という意味である。〉己巳、王世充と段達らが越王侗を洛陽で皇帝に立てた。
解説
流行歌の言葉を、姓や名や音の重なりで読み解きます。李は唐、楊は隋、花は実らないこと。すべて後から当てはめた解釈でしょう。ただし乱世に謎めいた歌が流行り、人々がそれを読み解こうとしたこと自体は事実です。先が見えない時期に、人は言葉の中に手がかりを探す。その心の動きの記録として読めます。後付けの解釈だと分かっていても、人はそこに意味を読みます。
この章句が説くこと
覇図隋唐童謡桃李子解釈
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