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長短経 / 運命

又曰、「楚師屠漢卒、睢水梗其流、秦人坑趙士、沸聲若雷震。雖游、夏之英才、伊、顔之殆庶、焉能抗之哉!」此其弊也。對曰、宋景公之時、熒惑在心。公懼、問子韋、子韋曰、「心者、宋野也、禍當在君。雖然、可移於人。」㨿此言、則君有祸人當受之。若當君厄㑹之時、則生人塗炭。雖伊、顔、游、夏、何所抗哉?故荘子曰、「當堯舜、天下無窮人、非智得也、當桀紂、天下無道人、非智失也。時勢適然。」此之謂也

新字:又曰、「楚師屠漢卒、睢水梗其流、秦人坑趙士、沸声若雷震。雖游、夏之英才、伊、顔之殆庶、焉能抗之哉!」此其弊也。対曰、宋景公之時、熒惑在心。公懼、問子韋、子韋曰、「心者、宋野也、禍当在君。雖然、可移於人。」拠此言、則君有祸人当受之。若当君厄会之時、則生人塗炭。雖伊、顔、游、夏、何所抗哉?故荘子曰、「当堯舜、天下無窮人、非智得也、当桀紂、天下無道人、非智失也。時勢適然。」此之謂也

書き下し

又た曰く「楚師漢の卒を屠り、睢水其の流れを梗ぐ。秦人趙の士を坑にし、沸声雷震の若し。游・夏の英才、伊・顔の殆庶と雖も、焉んぞ能く之に抗せんや」と。此れ其の弊なり。対えて曰く、宋の景公の時、熒惑心に在り。公懼れて子韋に問う。子韋曰く「心は宋の野なり。禍は当に君に在るべし。然りと雖も、人に移すべし」と。此の言に拠れば、則ち君に禍有れば人当に之を受くべし。若し君の厄会の時に当たらば、則ち生人塗炭す。伊・顔・游・夏と雖も、何ぞ抗する所ならんや。故に荘子曰く「堯・舜に当たりては、天下に窮人無し。智の得たるに非ざるなり。桀・紂に当たりては、天下に通人無し。智の失えるに非ざるなり。時勢適然たり」と。此の謂いなり。

現代語訳

また論者は言う。「楚の軍が漢の兵を屠ったとき、睢水は屍で流れが止まった。秦が趙の兵を生き埋めにしたとき、その叫び声は雷のようだった。子游・子夏のような英才や、伊尹・顔回のような聖人に近い者がいても、どうして逆らえただろうか」。これは運命論の弊害である。答えて言う。宋の景公の時、火星が心宿にとどまった。景公は恐れて子韋に問うと、子韋は言った。「心宿は宋の星域です。禍は君に降りかかるはずです。しかし人に移すことができます」。この言葉によれば、君に禍があれば人がそれを受けることになる。君主が厄に遭う時に当たれば、民は泥と炭の苦しみに落ちる。伊尹・顔回・子游・子夏でも、どうして逆らえよう。だから荘子は「堯・舜の時代には天下に困窮した人がいなかったが、それは知恵で得たのではない。桀・紂の時代には天下に栄える人がいなかったが、それは知恵を失ったからではない。時の勢いがたまたまそうだった」と言った。このことである。

解説

運命論者は、戦場で生き埋めにされた何十万の兵の中には賢者もいたはずで、それは運命としか言えないと主張します。趙蕤は、個人の運命は君主や時代の運命に巻き込まれるものだと答える。君主が厄に遭えば、民がその禍を受ける。荘子の言うように、平和な時代に困窮者がいないのも、乱世に栄える者がいないのも、個人の知恵ではなく時勢のせいだ。個人の徳だけでは、時代全体の禍から逃れられないことがあるのです。

この章句が説くこと

運命荘子時勢宋の景公集団の運命個人

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